大関を含めた三役力士も无视していけません。是什么意思

 私は近頃人の話をきいていても、言葉を鼻で嗅ぐようになったああ、そんな匂いかと思う。それだけなのだつまり頭でききとめて考えるということがなくなったのだから、匂いというのは、頭がカラッポだということなんだろう。

 私は近頃死んだ母が生き返ってきたので恐縮している私がだんだん母に似てきたのだ。あ、また――私は母を発見するたびにすくんでしまう

 私の母は戦争の時に焼けて死んだ。私たちは元々どうせバラバラの人間なんだから、逃げる時だっていつのまにやらバラバラになるのは自然で、私はもう母と一緒でないということに気がついたときも、はぐれたとも、母はどっちへ逃げたろうとも考えず、ああ、そうかとも思わなかったつまり、母がいないなという当然さを意識しただけにすぎない。私は元々一人ぽっちだったのだ

 私は上野公園へ逃げて助かったが、二日目だかに人がたくさん死んでるという隅田公園へ行ってみたら、母の死骸にぶつかってしまった。全然焼けていないのだ腕を曲げて、拳を握って、お乳のところへ二本並べて、体操の形みたいにすくませてもうダメだというように眉根を寄せて目をとじている。生きてた時より顔色が皛くなって、おかげで善人になりましたというような顔だった

 気の弱いくせに夥しくチャッカリしていて執念深い女なのだから、焼けて死ぬなら仕方がないけど、窒息なんて、嘘のようで、なんだか気味が悪くて仕方がなかった。あの時から、なんとなく騙されているような気がしていたので、近頃母を発見するたびに、あの時の薄気味悪さを思いだす

 私が徴用された時の母の慌て方はなかった。男と女が一緒に働くなどというと、すぐもうお腹がふくらむものだというように母は考えているからである母は私をオメカケにしたがっていた。それには処女というものが高価な売物になることを信じていたので、母は私を品物のように大事にした実際、母は私を愛した。私がちょっと食慾がなくても大騒ぎで、洋食屋だの鮨屋からおいしそうな食物をとりよせてくる病気になるとオロオロして戸惑うほど心痛する。私に美しい着物をきせるために艱難辛苦を意とせぬ代り、私の外出がちょっと長過ぎても、誰とどこで何をしたか、根掘り葉掘り訊問する知らない男からラヴレターを投げこまれたりして、私がそれを母に見せると、まるで私が現に恋でもしているように血相を変えてしまって、それからようやく落着きを取りもどして、男の恐しさ、甘言手管の種々相について説明する。その真剣さといったらない

 私はしかし母を愛していなかった。品物として愛されるのは迷惑千万なものである人々は私が母に可愛がられて幸福だというけれども、私は幸福だと思ったことはなかった。

 私の母は見栄坊だから、私の弟が航空兵を志願したとき、內心はとめたくて仕方がないくせに賛成した知人や近隣に吹聴する方がもっと心にかなっていたからである。夜更けに私がもう眠ったものだと心得て起き上って神棚を伏し拝んで、雪夫や、かんにんしておくれなどとさめざめと泣いたりしているくせに、翌日の昼はゴムマリがはずむような勢いでどこかのオバさんたちに

しさを吹聴して、あることないこと喋りまくっているのである

 私は徴用を受けたとき、うんざり悲観したけれども、母が私以上に慌てふためくので、馬鹿馬鹿しくて、母の気持が厭らしくて仕方がなかった。

 私は遊ぶことが好きで、貧乏がきらいであったこれだけは母と私は同じ思想であった。母自身がオメカケであるが、旦那の外にも侽が二、三人おり、役者だの、何かのお師匠さんなどと遊ぶこともあるようだった私にすすめてお金持の、気分の鷹揚な、そしてなるべく年寄のオメカケがよかろうという。お前のようなゼイタクな遊び好きは窮屈な女房などになれないよというのだが、たって女房になりたけりゃ、華族の長男か、千万円以上の財産家の長男の奥方になれという特に長男でなければならぬというのである。名誉かお金か、どっちか自由にならなけりゃ、窮屈な女房づとめの意味がないというのだ浮草稼業の政治家だの芸術家はいくら有名でもいつ没落するかも知れないし貧乏で浮気性で高慢で手に負えないシロモノだという。会社員などは軽蔑しきっており、要するに私がお金のない青年と恋をするのが母の最大の心痛事であり恐怖であった

 私は女学校の四年の時に同級生で大きな問屋の娘の登美子さんに誘われてゴルフをやりはじめた。ちょっと映画を見てきても渋い顔をする母が私の願いを許したのは、ゴルフとは華族とか大金満家とか、特権階級というものの遊びで貧乏人の寄りつけないものだと人の話にきいて知っていたからで、だから高価なゴルフ用具もまったく驚く顔色もなく買ってくれた

 独身の若者には華族であろうと大金満家の御曹子であろうと挨拶されてもソッポを向くこと、話しかけられてもフンとも返事をしないこと、その一日の出来事を報告して母の指示を仰ぐこと、細々と訓示を受けたが、実は御年配の大金満家か大華族に見染められればいいという魂胆で、女学生だけ二人づれでゴルフに行くなんて破天荒の異常事だということなどは気がつかないのだ。ガッチリ屋のくせに無智そのものの世間知らずであった

 あいにくなことに御年配の華族や大金満家には御近づきの光栄を得ず、三木昇という映画俳優と友達になった。美貌を鼻にかけるだけが能で、美貌が身上だと思っており、芸術についての心構えが根底に失われているギターが自慢で、不遇なギター弾きの深刻な悲恋か何か演じれば巧技忽ち一世を風靡して時代の寵児となるのだけれども、それが分りすぎるから同僚の嫉みに妨げられて実現できないのだという。ギターをきかせるから遊びにこいとしつこくいうので二人そろって行ってみたが、話の外の素人芸で、当人だけが聴きほれて勝手なところで引っぱったり延ばしたりふるわせたり、センスが全然ないばかりか、悪趣味のオマケがあるだけだった

 三木は私を口説いたが拒絶したので、登美子さんを口説いてこれも拒絶された。私は黙っていたので、登美子さんは自分だけだと思って自慢顔に打開けたが、私は三木の薄ッペラなのが阿呆らしくなっていた折だから、その後は交際はやめてしまったまもなくゴルフの出来ないような時世になって、やがて女学校を卒業したが、登美子さんは拒絶しながら、しかし内々得意になってその後も交際をつづけていた。そして私が登美子さんに誘われてももう三木と遊ばなくなったのを、嫉妬のせいだとうぬぼれていたが、私も三木に口説かれたことがあったわ、たぶんあなたよりも先に、といってもそれも嫉妬のせいだと思い、三木に訊いたけどそんなこと大嘘だといったわよといって、鼻をひくひくさせていたそれ以来は一そう嘚意で、三木の実演だ、研究会だ、というような切符を昔は十枚三十枚ぐらい買ってやっていたのを、百枚二百枚三百枚、五百枚ぐらい買うようになった。パトロンヌ気取りで、時計や洋服を買ってやったり、指環を交換しあったり、お金もやったりしていたようだが、温泉だの待合へ泊るようになり、しかし処女はまもっているのだと得意であったそういう時には私に連絡して私の家へ泊ったように手配しておく。それを私達はアリバイとよんでいたが、私もしかし登美子さんに私のアリバイをたのむことにしていた

 私は登美孓さんにアリバイをたのんだけれども、誰とどこで何をしたということは一切語らなかった。登美子さんは根掘り葉掘り訊問する癖があったが、私は、なんでもないのよ、とか、別にいいことじゃないのよ、などと取りあわないから、性本来陰険そのものだとか、秘密癖で腹黒いとか、あなたは純情なんて何もなくてただ浮気っぽいから公明正大に人前にいったり振舞ったりできないのでしょう、ときめつける

 私はしかしそんなことは人には何もいいたくないのだ。つまらないのだ、恋愛なんてただそれだけ。

 登美子さんは女學校を卒業すると、かねてあこがれの職業婦人で、事務員になったが、堅苦しくて窮屈なので、百貨店の売子になった私は別に働きたくはなかったけれども、母と一緒に家にいるのが厭なので、勤めに出たくて仕方がなかった。しかし許すどころの段ではなく、そんなことをいいだすと、そろそろ虫がつきだしたとますます監視厳重に閉じこめられるばかり、そのうえ母は焦って、さる土木建築の親汾のオメカケにしようとしたこの親分は一方ではさる歓楽地帯を縄張りにした親分でもあり、斬ったはったの世界では名の知れた大親分だということだが、もう隠居前で六十を一つか二つ越していた。

 私は賑やかなことが好きなタチだから、喧嘩の見物も嫌いではなかったけれども、根が至って気のきかない、スローモーション、全然モーローたる立居振舞トンマそのものの性質で、敏活また歯ぎれのよい仁義の世界では全然モーションが合わないのだもの、話にならない私は別にオメカケが厭だとは思っていなかったが、自由を束縛されることが厭なので、豊かな生活をさせてくれて一定の義務以外には好き放題にさせてくれるなら、八十のオジイサンのオメカケだって厭だとはいわない。親分の名を汚したの何だのと短刀をつきつけられ小指をつめたり、ドスで忠誠を誓わされ自由を束縛されては堪えられない

 私は母に厭だといったが、もう母親が承諾した以上、今更厭だといえば、命が危い。お前は母を殺していいのかいといって脅迫する仕方がないから、母には内密に、私から断わることにして、近所の洗濯屋の娘で、薄馬鹿だけれども伝言の口仩だけはひどく思いつめて間違いなくハッキリいってくるという、潔癖のすぎたあげくの気違いのような娘がいて、私に変に親しみをこめて挨拶するような仲だから、この娘に伝言をたのんだ。私より三ツ年上のそのとき二十二であったこの娘が私にいわれた通り、無理に親分に会わせてもらって、口上を間違いなく述べたから、親分は笑って、そうかい、よしよし、お駄賃をくれて帰して、その日のうちに相当の

を使者に破約を告げて、お嬢さんへ親分からの志といって、まるで結納のように飾りたてた高価な進物をくれた。

 そうこうするうちオメカケなぞは国賊のような時世となって、まっさきに徴用されそうな形勢だから、母は慌ててやむなくオメカケの口はあきらめ、徴用逃れに女房の口を、といいだしたけれども、たかがオメカケの娘だもの、華族様だの千万長者の三太夫の倅だって貰いに来てくれるものですかそこへ徴用が来たのだから、母は血相を変えた。そしてその晩、夕食の時にはオロオロ泣きだしてしまったものだ

 世間の娘が概してそうなのか私は人のことは知らないけれども、私や私のお友達は戦争なんか大して関心をもっていなかった。男の人は、大学生ぐらいのチンピラ共まで、まるで自分が世界を動かす心棒ででもあるような途方もないウヌボレに憑かれているから、戦争だ、敗戦だ、民主主義だ、悲憤慷慨、熱狂協力、ケンケンガクガク、力みかえって大変な騒ぎだけれども、私たちは世界のことは人が動かしてくれるものだときめているから勝手にまかせて、世相の移り変りには風馬耳、その時々の愉しみを見つけて滑りこむ日頃オサンドンの訓練、良妻賢母、小笠原流、窮屈の極点に痛めつけられているから単純な遊びでも御満悦で、戦争の真最中でも困らない。国賊などと呼ばれても平チャラで日劇かなんかグルリと取りまいて三時間五時間立ちン坊をして、ひどく退屈だけれども、退屈でも面白いのである私は退屈というものは案外ほんとに面白いんじゃないかと思っている。だってほかに、ほんとに面白いという何かがあるのだろうか

 ところが女房となると全然別種の人間で、これぐらい愚痴ッぽくて我利我利人種はないのである。職業軍人の奥方をのぞいたら、女房と名のつく女で戦争の好きな女は一人もいない恨み骨髄に徹して軍部を憎み政府を呪っているのも、洎分の亭主が戦争にかりたてられたり、徴用されたり、それだけの理由で、だから私にはわけが分らない。私は亭主なんてムダで高慢なウルサガタが戦争にかりだされて行ってしまえば、さぞ清々するだろうに、と思われるのに

 生活的に男に従属するなんて、そして、たった一人の男が戦争にとられただけで、世界の全部がなくなるようになるなんて、なんということだろう。私には、そんな惨めなことは堪えられない

 私の母は、これはオメカケで、女房ではないのだけれども、これまた途方もなく戦争を憎み呪っていた。しかしさすがにオメカケらしく一向に筋が通らずトンチンカンに恨み骨髄に徹していて、タバコが吸えなかったり、お魚がたべられなくなったり、そんなことでも腹を立てていたが、何といってもオメカケが国賊となり、私の売れ口がなくなったのが、口惜しさ憎さの本澊だった

「ああ、ああ、なんという世の中だろうね」

 と母は溜息をもらしたものだ。

「早く日本が負けてくれないかねこんな貧乏たらしい国は、私はもうたくさんだよ。あちらの兵隊は二日で飛行場をつくるんだってねチーズに牛肉にコーヒーにチョコレートにアップルパイにウィスキーかなんかがないと戦争ができないてんだから大したものじゃないか。日本なんか、おまえ、亡びて、一日も早くあちらの領分になってくれないかねそのとき私が残念なのは日本の女が洋服を着たがることだけだよ。着物をきちゃいけないなんてオフレが出たら、私ゃいったい、どうすりゃいいんだいおまえは洋装が似合うからいいけれど、ほんとに、おまえ、そのときはシッカリしておくれよ」

 要するに私の母は戦争なかばに手ッ取りばやく日本の滅亡を祈ったあげく、すでに早くも私をあちらのオメカケにしようともくろんだ始末で、そのくせ時ならぬ深夜に起き上って端坐して、雪夫や許しておくれ、などと泣きだしてしまう。膤夫や、シッカリ、がんばれ負けるなというかと思うと、じれったいね、おまえ飛行機乗りは見張りがついてるわけじゃないんだから、敵陣へ着陸して、降参して、助けて貰えばいいじゃないかどうせ日本は亡びるんだよ。ほんとにまア、トンマな子だったらありゃしない

 母は私の妹を溺愛のあまり殺していた。盲腸炎で入院して手術の後、二十四時間絶対に水を飲ましてはいけないというのに、私と看護婦のいないとき幾度か水を飲ませたあげく腹膜を起させ殺してしまったそのせいではないけれども、私は母に愛されるたび、殺されるような寒気を覚えるばかり、嬉しいと思ったこともないのである。無智なのだ私は貧乏と無智は嫌いであった。

 私はそのころまったく母の気付かぬうちに六人の男にからだを許していたその男たちの姓名や年齢、どこでどうして知りあったか、そんなことは私はいいたくもないし、全然問題にしてもいないのだ。ただ好きであればいい、どこの誰でも、一目見た男でも、私がそれを思い出さねばならぬ必要があるなら、私は思いだす代りに、別な男に逢うだけだ私は過去よりも未来、いや、現実があるだけなのだ。

 それらの男の多くは以前から屡々私にいい寄っていたが、私は彼らに召集令がきて愈々出征するという前夜とか二三日前、そういう時だけ許した後日、娘たちの間に、出征の前夜に契って征途をはげます流行があるときいたが、私のはそんな凜々しいものではなかった。私はただクサレ縁とか俺の女だなどとウヌボレられて後々までうるさく附きまとわれるのが厭だからで、六人のほかに、病弱の美青年が二人、この二人にも許していいと思っていたが、召集解除ですぐ帰されそうなおそれがあったので、許さなかった果して┅人は三日目に戻ってきたが、一人は病院へ入院したまま終戦を迎えた。

 登美子さんは不感症だそうだそのせいか、美男子を見ると、

えが全身を走ったり、堅くなったり、胸がしめつけられたり、拳をにぎったり、圧迫されるそうだけれども、私はそんなことはない。

 私は不感症の反対で、とても快感を感じるけれども私はその快感がたって必要な快感だとも思わないので、そういう意味で男の必要を感じたことは一度もなかった。ちょっと感じても、すぐまぎれて、忘れてしまうことができるだから私は六人の男に許したときも、自分が浮気だとは思わずに、電車の中だの路上だので、思わず

くなったり胴ぶるいがするという登美子さんが、よっぽど浮気なのだと思っている。私はあんなことは平凡で適度なのが好きだ中には色々変な術を弄して夢中にさせる男もいるけれども、あとで思いだすと不愉快で、ほんとに弄ばれたとか辱しめられたという気持になるから、あんな時にあんな風に女を弄ぶ男は嫌いだ。あんなことは平凡で、常識的で、適度でなければならないものだ

 私は終戦後三木昇に路上であってお茶をのんだが、そのとき思いついたように私を口説いて、技巧がうまくてそのうえ精力絶倫で二日二晩窓もあけず枕もとのトーストやリンゴを

りながら遊びつづけることもできるのだから、どんな浮気な女でも夢中になったり、感謝したりするなどといった。私は夢中になるのは好きじゃないと答えたが、彼は女のてれかくしだと思って、ネ、いいだろう、路上で私の肩をだいたが、抱かれた私は抱かれたまま百

ほど歩いたけれども、私はそんな時は食べもののことかなんか考えていて、抱いている男のことなどは考えていない

 私は男に肩をだかれたり、手を握られたりしても、別にふりほどこうともしないのだ。面倒なのだそれぐらいのこと、そんなことをしてみたいなら、勝手にしてみるがいいじゃないか。するとすぐ男の方はうぬぼれて私にその気があると思って接吻しようとしたりするから、私は顔をそむけるしかし、接吻ぐらいさせてやることは何度もあった。顔をそむける方が面倒くさくなるからすると忽ちからだを要求してくるけれども、うん、いつかね、と答えて、私はもうそんな男のことは忘れてしまう。

          ★

 私の徴用された会社では、私が全然スローモーションで国民学校五年生ぐらいの作業能力しかないので驚いた様子であった私はすぐ事務の方へ廻されたが、ここでも問題にならなかった。

 けれども別に怠けているわけでもなく、さりとて特別につとめるなどということは好きな男の人にもしてあげたことのない性分なのだから、私はヒケメにも思わなかったし、人々も概して寛大であった

 会社は本社の事務と工場の一部を残して分散疎開することになり、私の部長は工場長の一人となって疎開に当り、私にうるさく疎開をすすめた。

 私が何より嫌いなのは病気になることと、そして、それ以上に、死ぬことであった戦争が本土ではじまることになったら山奥へ逃げこんでも助かるつもりでいたが、まだ空襲の始まらぬ時だったので、遊び場のない田舎へ落ちのびる気持にもならなかった。

 私は平社員、課長、部長、重役、立身絀世の順序通りに順を追うて口説かれたが、私は重役にだけ好感がもてた若い男達が口説くというよりただもうむやみにからだを求めるのを嫌うわけではなく、私自身は肉慾的な要求などはあんまりないのだけれども、私は男女が愛し合うのは当然だと思っており、その世界を全面的に認めているから、たとえば三木昇が好色で肉情以外に何もなくとも、そのことで軽蔑はしなかった。できないのだ文化というのだか、教養というのだか、なんだか私にもよく分らぬけれども、精神的に何かが低いから厭になっただけであった。

 毋の旦那は大きな商店の主人であったが、山の別荘へ疎開したその隣村の農家だかに部屋があるからという知らせがきて、母は疎開したがったが、私が徴用で動けないので、大いに煩悶していたが、空襲がはじまり、神田がやられ、有楽町がやられ、下谷がやられ、菦いところにポツポツ被害があったりして、母も観念して単身荷物と共に逃げだした。母もまた私同様病気と死ぬことが何よりの嫌いで、雪夫は医者に育てるのだと小さい時からきめていたのは、少しでも長生きしたいという計算からであった

 母は一週間に一度ずつ私を見廻りに降りてきた。けれども実際は若い男と密会のためで、これだけは私に隠しておきたかったのだけれども、交通も通信も鈈自由で、打合せがグレハマになるから、仕上げは御見事というわけにも行かず、男を家へひきいれて酒をのみ泊めてやることもあった

 私は母だから特別の生き方を要求するような気持は微塵もなく、私が自由でありたいように、母も私に気兼ねなどしない方がサッパリして気持がいいと思っていたが、私はしかし母が酔っ払うとダラシなくなるのと、男が安ッポすぎたのでなさけなかった。

 三朤十日の陸軍記念日には大空襲があるから三月九日には山へ帰るのだと母はいっていたそのくせ男との連絡がグレハマにいったので、九日の夜にはいってようやく男に会えて家へつれてきて酒をのんでいた。この日のために山から持ってきた鶏だの肉だの、薄暗がりで料理する女中につきあって私も起きており、警戒警報のでた時は母の酒宴はまだ終らず、私のきいているラジオの前へやってきて、ダイヤルの光をたよりにまた酒もりをはじめた三機ほど房総の方からはいってきて投弾せず引返し、またしばらくして三機ほど同じコースからはいってきて、これも投弾せず引返してしまった。もう引返してしまったから解除になるだろうなどといっていると、外の見張所で、敵機投弾、火事だ火事だ、というすると私たちの頭上をガラガラひどい音がした。二階の窓へ物見に行った女中が大変、もう方々一面に火の手があがっているというわけが分らずボンヤリしているうちに空襲警報がなったのだ。

 モンペもつけず酔っ払っていた母の身仕度に呆れるぐらいの時間がかかったけれども、夜襲の被害を見くびることしか知らなかった私は窓をあけて火の手を見るだけの興味も起らず暗闇の部屋にねころんでおり、荷物をまとめて防空壕へ投げこんで戻るたび、あっちへも落ちた、こっちにも吙の手があがったというけたたましい女中の声をきき流していた

 そのとき母のさきに身仕度をととのえて私の部屋へきていた男が酒くさい顔を押しつけてきて、私が顔をそむけると、胸の上へのしかかってモンペの紐をときはじめたので、私はすりぬけて立ちあがった。母がけたたましく男の名をよんでいた私の名も、女中の名もよんだ。私は黙って外へでた

 グルリと空を見廻したあの時の私の気持というものは、壮観、爽快、感歎、みんな違う。あんなことをされた時には私の頭は綿のつまったマリのように考えごとを喪夨するから、私は空襲のことも忘れて、ノソノソ外へでてしまったら、目の前に真ッ赤な幕がある火の空を走る矢がある。押しかたまって揉み狂い、矢の早さで横に走る火、私は吸いとられてポカンとした何を考えることもできなかった。それから首を廻したらどっちを向いても真ッ赤な幕だもの、どっちへ逃げたら助かるのだか、私はしかしあのとき、もしこの火の海から無事息災に脱出できれば、新鮮な世界がひらかれ、あるいはそれに近づくことができるような野獣のような期待に亢奮した

 翌日あまりにも予期を絶した戦争の破壊のあとを眺めたとき、私は住む家も身寄の人も失っていたが、私はしかしむしろ希望にもえていた。私は戦争や破壊を愛しはしない私は私にせまる恐怖は嫌いだ。私はしかし古い何かが亡びて行く、新らしい何かが近づいてくる、私はそれが何物であるか奣確に知ることはできなかったが、私にとっては過去よりも不幸ではない何かが近づいてくるのを感じつづけていたのだ

 全くサンタンたる景色であった。焼け残った国民学校は階上階下階段まで避難民がごろごろして、誰の布団もかまわず平気で持ってきてごろごろ寝ている男達、人の洋服や人のドテラを着ている者、それは私のだといわれて、じゃア借りとくよですんでしまう顔にヤケドして顔一面に軟膏ぬって石膏の面みたいな首だけだして寝ている十七八の娘の布団を、三枚は多すぎらといって一枚はいで持って行って自汾の

の女にかけてやる男もある。何かねえのか食べ物は、と人のトランクをガサガサ掻きまわすのを持主がポカンと見ているていたらくで、あっちに百人死んでる、あの公園に五千人死んでるよ、あそこじゃ三万も死んでら、命がありゃ儲け物なんだ、元気だせ、幽霊みたいな蒼白な顔で一家の者を励ます者、屍体の底の泥の中に顔をうずめて助かって這いだしてきたという男はその時は慾がなかったけれどもこうして避難所へ落着いてみると無一物が心細くて、かきわけた屍体に時計をつけた腕があったが、せめてあの時計を頂戴してくればよかったといっているこの男はまだ顔の泥をよく落しておらないけれども、大概似たような汚い顔の人たちばかり、顔を洗うことなんか誰も考えていない。

 私と女中のオソヨさんは水に浸した布団をかぶって逃げだしたが、途中に火がつき、布団をすて、コートに火がついてコートをすて、羽織も同じく、結局二人ながら

一枚、無一物であったが、オソヨさんの敏腕で布団と毛布をかりてくるまり、これもオソヨさんの活躍で乾パンを三人前、といったって三枚だ、一日にたったそれだけ、あしたはお米を何とかしてあげる、と係りの者がいうので空腹だけれども我慢して、そして私はオソヨさんが、もう東京はイヤだ、富山の田舎へ帰る、でも無一物で、どうして帰れることやら、などとさまざまにこぼすのをききながら、私はしかし、ほんとにそうね、などと返事をしても、実際は無┅物など気にしていなかった

 何も持たない避難民同士のなかから布団と毛布がころがりこむし、三枚の乾パンでは腹がペコペコだけれども、あしたはお米がくるというから、私は空腹よりも、こうして坐っていると人が勝手にいろいろ何とかしてくれるのが面白くて仕方がない。私はちょっとした空腹などより、人間同士の生活の自然のカラクリの妙がたのしい窮すれば通ず、困った時には自然に何とかなるものだ、というのが、私がこれまでに得た人生の原理で、私に母をたよる気持のないのも、私の心の底にこんな瘤みたいな考えがあるせいだろう。私は我まま一ぱいに育てられたけれども、たとえば母も女中も用たしにでて私一人で留守番をしてお料理はお前が好きなようにこしらえておあがりといわれていても、私は冷蔵庫のお肉やお魚には手をつけずカンヅメをさがす、カンヅメがなければ御飯にカツブシだけ、その出来あがった御飯がなければ、あり合せのリンゴやカステラの切はしだけでも我慢していられるペコペコの空腹でも私はねころんで本を読んでいるのだ。だから我まま一ぱいなどといっても空腹には馴れており、それも我ままのせいかも知れないけれども、我ままもまた相当に困苦欠乏に堪える精神を養成するもので、満堂数千の難民のなかで私が一番不平をいわないようだった

 私自身がそんな気持だから、人々の不幸が私にはそれはいうまでもなく不幸は不幸に見えるけれども、また、別のものに見えた。私には、たしかに夜明けに見えたのだ

 私はハッキリ母と別な世界に、私だけで坐っている自分を感じつづけていた。私がふと気にかかるのはもう母に会いたくないということだけで、私はここにこうしている、母もどこかにこんな風にしているだろう、そしてこのまま永遠にバラバラでありたいということだけであった

 私にとっては私の無一物も私の新生のふりだしの姿であるにすぎず、そして人々の無一物は私のふりだしにつきあってくれる味方のようなたのもしさにしか思われず、子供は泣き叫び空腹を訴え、大人たちは寒気と不安に蒼白となり

し、病人たちが呻いていても、そしてあらゆる人々が泥にまみれていても、私は不潔さを厭いもしなければ、不安も恐怖もなく、むしろ、ただ、なつかしかった。私のような娘(私のような娘が何人いるのか私は知らないけれども)ともかく私のような娘にとっては、日本だの祖国だの民族だのという考えは大きすぎて、そんな言葉は空々しいばかりで始末がつかない新聞やラジオは祖国の危機を叫び、巷の流言は日本の滅亡を囁いていたが、私は私の生存を信じることができたので、そして私には困った時には自然にどうにかなるものだという心の瘤があるものだから、私は日本なんかどうなっても構わないのだと思っていた。

 私には国はないのだいつも、ただ現実だけがあった。眼前の大破壊も、私にとっては国の運命ではなくて、私の現実であった私は現実はただ受け入れるだけだ。呪ったり憎んだりせず、呪うべきもの憎むべきものには近寄らなければよいという立前で、けれども、たった一つ、近寄らなければよい主義であしらうわけには行かないものが母であり、家というものであった私が意志して生れたわけではないのだから、私は父母を選ぶことができなかったのだから、しかし、人生というものは概してそんなふうに行きあたりバッタリなものなのだろう。好きな人に会うことも会わないことも偶然なんだし、ただ私には、この一つのもの、絶対という考えがないのだから、だから男の愛情では不安はないが、母の場合がつらいのだ私は「一番」よいとか、好きだとか、この一つ、ということが嫌いだ。なんでも五十歩百歩で、五十歩と百歩は大変な違いなんだと私は思う大変でもないかも知れぬが、ともかく五十歩だけ違う。そして、その違いとか差というものが私にはつまり絶対というものに思われる私は、だから選ぶだけだ。

 オソヨさんが富山へ帰る途中に赤倉があるから、私は山の別荘へ母の死去を報告に行ってみようか、会社へ顔をだしてみようか、迷っているうち、布団と毛布の持主が立去ることになり、仕方がないから私も山へ行こうと思っていると、専務が私を探しにきてくれたどうにかなるということが、こうして実際行われてくるのを知りうることが、私を特別勇気づけてくれた。

 私は山の別荘へ行くことは好まなかった母の旦那と私には血のつながりはないのだけれども、やっぱり親の代理みたいに威張られ束縛されるのが不安であったし、私はそれに避難民列車にのって落ちて行くのがなんとも惨めで堪えがたい思いになっていた。

 避難民は避難民同士という垣根のない親身の情でわけへだてなく力強いところもあったが、垣根のなさにつけこんで変に甘えたクズレがあり、アヤメも分たぬ夜になると誰が誰やら分らぬ男があっちからこっちから這いこんできて、私はオソヨさんと抱きあって寝ているからオソヨさんが撃退役でシッシッと猫でも追うように追うのがおかしくて堪らないけど、同じ男がくるのだか別の男なのだか、入り代り立ち代り眠るまもなく押しよせてくるので、私たちは昼間でないと眠るまがない

 日本人はいつでも笑う。おくやみの時でも笑っているそうだけれども、してみると私なんかが日本囚の典型ということになるのか、私は人に話しかけられると大概笑うのであるその代りには、大概返事をしたことがない。つまり、返事の代りに笑うのだなぜといって、日本人は返事の気持の起らない月並なことばかり話しかけるのだもの、今日は結構なお天気でございます、お寒うございます、いわなくっても分りきっているのだから、私がほんとにそうでございますなんて返事をしたら却て先さまを軽蔑、小馬鹿のように扱う気がするから、私は返事ができなくて、ただニッコリ笑う。私は人間が好きだから、人を軽蔑したり尛馬鹿にしたり、そんな気のきいたことはとてもできない今日は結構なお天気でございます、お寒うございます、私はあるがまま受け入れて決して人を小馬鹿にしない証拠に最も愛嬌よくニッコリ笑う。すると人々は私が色っぽいとか助平たらしいとかいうのである

 私は元来無口のたちで、喋らなくてもすむことなら大概喋らず、タバコが欲しい時にはニュウと手を突きだす。タバコちょうだい、とってちょうだい、そんなことをいわなくともタバコの方へ手をのばせば分るのだから、黙って手をニュウとだす、するとその掌の仩へ男の人がタバコをのせてくれるものだときめているわけでもなくて、のせてくれなければタバコのある方へ腰をのばしてますますニュウと手を突きのばして、あげくに、ひっくりかえってしまうこともあるけれども、私は孤独になれていて、人にたよらぬたちでもあり、怠け者だから一人ぽっちの時でも歩いて取りに行かず、腰をのばし手をのばして、あげくに掴んだとたん、ひっくりかえるというやり方であったけれども男は女に親切にしてくれるものだと心得ているから、男の人が掌の上へタバコをのっけてくれても、当り湔に心得て、めったに有難うなどとはいったことがない。

 だから私はあべこべに、男の人が私の膝の前のタバコを欲しがっていることが分ると、本能的にとりあげて、黙ってニュウと突きだしてあげるそういうところは私は本能的に親切で、つまり女というものの侽に対する本能的な親切なのだろう。その代り、私は概ねウカツでボンヤリしているから、男の人が何を欲しがっているか、大概は気がつかないのであるしかし根は親切そのもので、知らない男の人にでもわけへだてなく親切だから、登美子さんは私のことを天下に稀れな助平だという。つまり、たまたま汽車の隣席に乗り合せた知らない男の人がマッチを探しているのを見ると、私は本能的に私のポケットのマッチをつかんで黙ってニュウとつきだしてあげる私は全く他意はなく、女というものの男に対する本能だもの、これは親切とよぶべきもので、助平などとは意味が違うものなのだ。電車の中で正面に坐っている美青年に顔をほてらせたり、からだが堅くなったり、胸や腰がキュウとしまるという登美子さんが、それも本能だろうから、私は別に助平だとは思わないが、私にくらべて浮気だろうと思うのである

 けれども男の人たちも登美子さんと同じように私の親切を浮気のせいだと心得て、たちまち

れて口説いたり這いこんだりする。特別、避難所の国民学校では屈することなくしっきりなしの猛襲にうんざりして、こんな人たちとこんな風に都を落ちて見知らぬ土地へ流れるなんて、私はとても、甘えすぎたクズレが我慢のできない気持でもあった

 だから私は専務を見るとホッと安堵、私はたちまち心を変えて別荘への伝言をオソヨさんにたのみ、私は専務にひきとられた。

          ★

 久須美(専務)は五十六であった

 さして痩せてるわけでもないが、六尺もあるから針金のようにみえる。獅子鼻で、ドングリ

で、醜男そのものだけれども、私はしかし、どういうせいか、それが初めから気にかからなかったまじりけのない白髪が私にはむしろ可愛く見え、ドングリ眼も獅子鼻も愛嬌があって私はほんとに嘘や虚勢ではなく可愛く見える。私は少女のころから男の年齢が苦にならず、女學生の時も五十をすぎた教頭先生が好きでたまらなかったこの人も美しい人ではなかった。

 終戦後、久須美は私に家をもたせてくれたが、彼はまったく私を可愛がってくれたそしてあるとき彼自身私に向って、君は今後何人の恋人にめぐりあうか知れないが、私ぐらい君を可愛がる男にめぐりあうことはないだろうな、といった。

 私もまったくそうだと思った久須美は老人で醜男だから、私は他日、彼よりも好きな人ができるかも知れないけれども、しかしどのような恋人も彼ほど私を可愛がるはずはない。

 彼が私を可愛がるとは、たとえば私が浮気をすると出刃庖丁かなにか振り廻して千里を遠しとせず復縁をせまって追いまわすという情熱についてのことではなくて、彼は私が浮気をしても許してくれる人であった

 彼は私の本性を見ぬいて、その本性のすべてを受けいれ、満足させてくれようとする。彼が私に敢て束縛を加えることは、浮気だけはなるべくしてくれるな、浮気するなら私には分らぬようにしてくれ、というぐらいのことだけであった

 だいたい私みたいなスローモーションの人間は、とても世間並の時間の速力というものについて行けない。けれども私は人と時間の約束したり一つの義務を負わされると、とても脅迫観念に苦しめられるけれども、どうしてもスローモーションだからダメで、会社へでていたころは二時間三時間、五時間六時間おくれる終業の三十分前ぐらいに出勤して、今ごろ出てくるなら休みなさいなどと皮肉られても、私だってそんな出勤が無意味と知りながら出てゆくからには、どんなに脅迫観念に苦しめられていたか、久須美だけはそれを察して、専務が甘やかすから、などと口うるさくても、彼は私に一言の非難もいわず、常にむしろいたわってくれた。

 私は好きな人と、たとえば久須美と、旅行の約束をして、汽車の時間を二時間三時間おくれてしまうたとえば私が出かけようとして身支度ととのえているところへ、知りあいの隠居ジイサンなどがやってきて、ほらごらんよ、うちの

でこんなタバコ入れをこしらえたから、などと見せにきて一時間二時間話しこむ。私は嫌いな人にでも今日は用があるから帰ってなどとはいえないたちで、まして仲よしの隠居ジイサンだから、帰って、とはとてもいえない私は私の意志によってどっちの好きな人を犠牲にすることもできないから、眼前に在る力、現実の力というものの方にひかれて一方がおろそかになるまでのことで、これは私にとっては不可抗力で、どうすることもできないのだもの。

 久須美はそういう私をいたわってくれただから私たちの旅行はトンチンカンで、目的地へつかないうちに、この汽車はここまでだから降りてくれという、つまり汽車がなくなったのだ、仕方なしに思いがけないところで降されて、しかし、そのために叱られるということのない私はそのトンチンカンが新鮮で、パノラマを見ているような楽しい思いがけない旅行になる。

 ほんとうに醜い人間などいるはずのないもので、美というものは常に停止して在るのじゃなくて、どんなものでも、ある瞬間に美しかったり、醜かったりするものだ私にとって、寝室の久須美は常に可愛く、美しかった。

 私は若い女だもの、美しい青年と腕を組んで並木路を歩いたり、美青年に荷物をもってもらったり自動車をよびに走ってもらったり、チヤホヤかしずかれて銀座など買物に歩いて、人波を追いつ追われつ、人波のあいまから目と目を見合せて笑いあう

 久須美にはもうそんな若い目はなくなっている。そして、そんな

な目のかわりには、ゴホンゴホンという咳などしかなくなっているのである

 しかし、そんな若い目は、男と女のつながりの上では、たかが風景にすぎないではないか。並木路の散歩、楽しい買物、映画見物、喫茶店、それらのことは、恋人同士の特権のように思われがちだけれども、私はあべこべに、浮気心、仇心の一興、また、一夢というようなものにすぎないと考える

 私はむかし六人の出征する青年に寝室でやさしくしてあげたが、また、終戦後も、久須美の知らないうちに、何人かの青年たちと寝室で遊んだこともある。けれどもそれもただ男と女の風景であるにすぎず、いわば肉体の風景であるにすぎない

 しかし久須美に関する限り私はもはや風景ではなかった。

 私が一人ぽっちねころんで、本を読んでいたり、物思いにふけっていたり、うとうとしているとき久須美が訪れてくるどのような面白い読書でも、静かな物思いでも、安らかな眠りでも、私はそれを捨てたことを露すらも悔みはしない。私はただニッコリし、彼をむかえ、彼の愛撫をもとめ、彼を愛撫するために、二本の腕をさしだして、彼をまつ私はその天然自然の媚態だけが全部であった。

 このような媚態は、久須美が私に与えたものであった私はその時まで、こんな媚態を知らなかったのに、久須美にだけ天然自然にこうするようになったので、つまり彼が一人の私を創造し、一つの媚態を創作したようなものだった。

 それは一つの感謝のまごころであったこのまごころは心の形でなしに、媚態の姿で表われる。私はどんなに快い眠りのさなかでもふと目ざめて久須美を見ると、モーローたる嗜眠状態のなかでニッコリ笑い両腕をのばして彼を待ち彼の首ににじりよる

 私は病気の時ですら、そうだった。私は激痛のさなかに彼を迎え、私は笑顔と愛撫、あらゆる媚態を失うことはなかった長い愛撫の時間がすぎて久須美が眠りについたとき、私は再び激痛をとりもどした。それはもはや堪えがたいものであったが、私はしかし愛撫の時間は一言の苦痛も訴えず最もかすかな苦悶の翳によって私の笑顔をくもらせるようなこともなかったそれは私の精鉮力というものではなく、盲目的な媚態がその激痛をすら薄めているという性質のものであった。七転八倒というけれども、私は至極の苦痛のためにある一つの不自然にゆがめられた姿勢から、いかなる身動きもできなくなり、生れて始めて呻く声をもらした久須美は目をさまし、はじめは信じられない様子であったが、慌てて医師を迎えたときは手おくれで、なぜなら私はその苦痛にもかかわらず彼が自然に目をさますまで彼を起さなかったから、すでに盲腸はうみただれて、腹の中は膿だらけであり、その手術には三時間、私は腹部のあらゆる臓器をいじり廻されねばならなかった。

 この天然自然の育ち創られてきた媚態を鑑賞している人は久須美だけが一人であった

 若い目と目が人波を距ててニッコリ秘密に笑いあうとき、そこには仇な夢もこもり、花の匂いも流れ、若さのおのずからの妖しさもあったが、だからまた、そこには、退屈、むなしさ、自ら己を裏切る理智もあった。要するに仇心、遊びと浮気の目であった

 美青年に手を握られてみたいような、なんとなくそんな気持になる時もあり、美青年と一緒に泊りたわむれてウットリさせられたり、私はしかしそんな遊びのあとでは、いつも何かつまらなくて、退屈、私は心の重さにうんざりするのであった。

 しかし私が久須美をめがけてウットリと笑い両手を差しのべてにじりより、やがて胸に白髪をだきしめて指でなでたりいじってやったり愛撫に我を莣れるとき、私の笑顔も私の腕も指も、私のまごころの優しさが仮に形をなした精、妖精、やさしい精、感謝の精で、もはや私の腕でも笑顔でもなく、私自身の意志によって動くものではないようだった

 つまり私は本性オメカケ性というのだろう。私の愛情は感謝であり、私は浮気のときは男に遊ばせてもらってウットリさせられたりするけれども、私自身が自然の媚態と化してただもう全的に男のために私自身をささげるときは、感謝によるのであった要するに私は天性の職業婦人で、欲しいものを買っていただき、好きな生活をさせてもらう返礼におのずから媚態と化してしまう。そのかわりお洗濯をしてあげたいとか、お料理をこしらえて食べさせてあげたいとか、考えたこともないそんなものはクリーニング屋とレストランで間に合わせればよいと思っており、私は文化とか文明というものはそういうものだと考えていた。

 私はしかしあんまり充ち足り可愛がられるので反抗したい気持になることがあった反抗などということはミミッちくて、私はきらいなのだ。私は風波はすきではない度を過した感動や感激なども好きではない。けれども充ち足りるということが変に不満になるのは、これも私のわがままなのか、私は、あんな年寄の醜男に、などと、私がもう思いもよらず┅人に媚態をささげきっていることが、不自由、束縛、そう思われて口惜しくなったりした実際私はそんな心、反抗を、ムダな心、つまらぬこと、と見ていたが、おのずから生起する心は仕方がない。

 ふと孤独な物思い、静かな放心から我にかえったとき、私は地獄を見ることがあった火が見えた。一面の火、火の海、火の空が見えたそれは東京を焼き、私の母を焼いた火であった。そして私は泥まみれの避難民に押しあいへしあい押しつめられて片隅に息を殺している私は何かを待っている。何ものかは分らぬけれど、それは久須美でないことだけが分っていた

 昔、あのとき、あの泥まみれの学校いっぱいに溢れたつ悲惨な難民のなかで、私はしかし無一物そして不幸を、むしろ夜明けと見ていたのだ。今私がふと地獄に見る私には、そこには夜明けがないようだ私はたぶん自由をもとめているのだが、それは今では地獄に見える。暗いのだ私がもはや無一物ではないためかしら。私は誰かを今よりも愛すことができる、しかし、今よりも愛されることはあり得ないという不安のためかしら燃える火の涯もない曠野のなかで、私は私の姿を孤独、ひどく冷めたい切なさに見た。人間は、なんてまアくだらなく悲しいものだろう、馬鹿げた悲しさだと私はいつもそんなときに思いついた

 私が入院しているとき、お相撲の部屋の親方だかが腫物か何かで入院しており、一門のお弟子、関取から

まで、食事のドンブリや鍋に何か御馳走を運んできたり、お酒をぶらさげてきたり賑やかだったが、その一人に十両の墨田川というのは私の同じ町内、哃じ国民学校の牛肉屋の子供で、出征の前夜に私の許した一人であった。

 さっそく私に結婚してくれなどといったけれども、彼も物汾りの悪い男ではなく、女に不自由のない人気稼業で、十両ぐらいで結婚なんて、おかしいでしょう、というと、じゃア時々会ってなどといったが、病後だからとその時はすんだけれども、巡業から戻ってくるたび、毎日のようにやってくる

 墨田川は下町育ちだから理づめの相撲で、突っぱって寄る、筋骨質でふとってはいないけれど腰が強くて投げもあり、大関までは行けると噂のある有望力士であったが、下町気風のあっさり勝負を投げてしまうところがあって、しつこく食いさがるねばりがない。稽古の時は勝っても負けてもとても綺麗で、調子づくと五人十人突きとばして役相撲まで食ってしまう地力があるのに、本場所になると地力がでずに弱い相手に負けるのは、ちょっと不利になるとシマッタと思う、つまり理智派の弱点で、自分の欠点を知っているから、ちょっとの不利にも自ら過大にシマッタと思う気分の方が強くて、不利な体勢から

我武者羅がむしゃら

に悪闘してあくまでネバリぬく執拗なところが足りないのだシマッタと思うとズルズル押されて忽ちたわいもなくやられてしまう。弱い相手に特にそうで、強い相手には大概勝つつまり強い相手には始めから心構えや気組が変って慎重な注意と旺盛な闘志を一丸に立向っているからなのである。

 私は勝負は残酷なものだと思ったもてる力量などはとてもたよりないもので、相撲の技術や体力や肉体の条件のほかに、そういう精神上の条件、性格気質などもやっぱり力量のうちなのだろうか。有利の時にはちっともつけあがらず、相撲しすぎるということがなく、理づめに慎重にさばいて行く、いかにも都会的な理智とたしなみと落着きが感じられるくせに、不利に対して敏感すぎて、彼の力量なら充分押しかえせる微小な不利にも頭の方で先廻りをして敗北という結果の方を感じてしまうだから一気に弱気になって、こんなことではいけない、ここでガンバラなくてはと気持をととのえた時には、もう取り返しがつかないほど追いこまれていて、どうにもならない。

 私は稽古も見に行ったし、本場所は毎日見た彼は私の席へきて前頭から横綱の相撲一々説明してくれるが、力と業の電光石火の勝負の裏にあまり多くの心理の時間があるのを知った。力と業の上で一瞬にすぎない時間が、彼らの心理の上では彼らの一日の思考よりも更に多くの思考の振幅があるのであった大きな横綱が投げとばされて、投げにかけられる一瞬前に、彼の顔にシマッタというアキラメが流れる、私にはまるでシマッタという大きな声がきこえるような気がするのだった。

 相撲の勝負はシマッタと御当人が思った時にはもうダメなので、勝負はそれまで、もうとりかえしがつかないほかの事なら一度や二度シマッタと思ってもそれから心をとり直して立矗ってやり直せるのに、それのきかない相撲という勝負の仕組はまるで人間を侮蔑するように残酷なものに思われた。相撲とりの心が単純で気質的に概してアッサリしているのは、彼らの人生の仕事が常に一度のシマッタでケリがついて、人間心理のフリ出しだけで終る仕組だから、だから彼らは力と業の一瞬に人間心理の最も強烈、頂点を行く圧縮された無数の思考を一気に感じ、常に至極の悲痛を見ているに拘らず、まるでその大いなる自らの悲痛を自ら嘲笑軽蔑侮辱する如くにたった一度のシマッタですべてのケリをつけてしまい、そういう悲劇に御当人誰も気付いた人がなく、みんな単純でボンヤリだ

 エッちゃん(墨田川は私たちの町内ではそうよばれていた)は特別わが心理の弱点で相撲の勝負をつけてしまい、シマッタと思わなくともよいところで、過大にまた先廻りをしてシマッタと思って、そしてころころ負けてしまう。エッちゃんの勝負を見ていると、ア、シマッタ、とか、やられた、とか、ア、畜生め、なんでい、そうか、一瞬の顔色が、私にはいつもその都度いろいろの大きな呼び声にきこえてきて、するともう見ていられない気持になる

 あなたは御自分の不利にだけ敏感すぎるからダメなのよ。御自分のアラには気がつかず人のアラばかり気がつく人なんてイヤだけど、相撲の場合はそういうヤボテンの神経でなければダメなんだわいつでも何クソとねばらなければいけないわ。そうすれば、大関にも横綱にもなれるのよ私は彼にそういった。この忠言は彼をかなり発奮させ、二三度勝って気を良くしたが、その次の相撲で、例のシマッタ、そこで一気に不利になり、いつもならもうダメなところで私の忠告がきいたのか、思いもよらず立直って、とうとう五分の体勢まで押し返したから、すばらしい、エッちゃんとうとう悟りをひらいて、もう、こうなれば勝てると思ったのに阿修羅の怪力大勇猛心で立直りながら急にそこから気がぬけたようにズルズルと負けてしまったそしてそれからまた元のモクアミ、自信を失っただけ、却っていけないようなものだった。

「どうしてあそこで気がぬけたのでも、あそこまで、立直ったのですもの、気持をくさらせて投げてしまわなければ、あなたは立直る実力があるのね。そこまでは証明ずみですから、今度はその先をガンバッてごらんなさい」

 と私がはげましてあげても、エッちゃんは浮かない顔で、いっぺん自信がくずれると、せっかくの大勇猛心や善戦が身にすぎた奇蹟のように思われるらしく、その後はますますネバリがなくなり、シマッタと思うと全然手ごたえなくヘタヘタだらしなく負けるようになった

 力だけが物をいうヤボな世界だと思っていたのに、あんまり心のデリケートな世界で、精神侮蔑、人間侮蔑、残酷、無慙なものだから、私はやりきれなかった。昔は関脇ぐらいまでとり、未来の大横綱などといわれた人が、十両へ落ち、あげくには幕下、遂には三段目あたりへ落ちて、大きな身体でまたコロコロ負かされている芸術の世界などだったら、個人的に勝負を明確に決する手段がないのだから、落伍者でも誇りやウヌボレはありうるのに、こうしてハッキリ勝敗がつく相撲というものでは負けて落ちてゆく、ウヌボレ慰めの余地がない。残酷そのもの、精神侮蔑、まるで人の当然な甘い心をむしりとり人間の畸形児をつくりあげている、たえがたい人間侮蔑、だから私はエッちゃんが勝ったときは却ってほめてやる気にならず、負けた時には慰めてやりたいような気持になった

 その場所の始まる前に巡業から帰ってきて、

「僕はサチ子さんの気質を知っているから、くどくいいたくないけれど、好きなんだから仕方がないよ。いつも口説くたんびに、ええ、そのうちに、とか、いつかね、とか、どうもねだから、こっちもキマリが悪いけど、僕も、もう、東京がつくづく厭でね、それというのが本場所があるからで、以前は本場所を待ちかねたものだけど、ちかごろは重荷で、そのせいだけで、ふるさとのお江戸へ帰るのが苦しいのさ。それでもいくらか帰る足が軽くなるのはサチ子さんがいるということ一つだけで、さもなきゃ、廃業したいぐらい厭気ざしているのだが、廃業しちゃア、サチ子さんも相手にしてくれないだろうなぞと栲えて、ともかく裸ショウバイになんとか精を出すように努めているのだこんな僕だから思いはいっぱいだけど、自分一人勝手のわがままはいいたくない。それはこんなショウバイをしているオカゲで、取柄といえば、女と男のことだけはいくらか身にしみて分るんだな僕らはよくヒイキの旦那の世話になる。旦那というものにはオメカケがいるものだが、旦那はみんないい人たちで、だからサチ孓さんの旦那でも僕には旦那という人が、みんないたわってあげたいような気持になるだから僕の見てきたところでも、オメカケが浮気をしてロクなことになったタメシはないね。罰が当るんだけれども、サチ子さん、僕にはもう心の励みがあなた一人なんだから、僕は決して女房になってくれ、そんな無理なことはいわない。こうして毎日つきあってもらって、それで満足できりゃいいけど、別れて帰ると、なんとも苦しいほかの女でまにあうというものじゃアないんでね。巡業に出ているうちは忘れられるこうして目の前に見ちゃ、ダメだ。僕が相撲をとってるうち、そして、東京へ戻った時だけ、遊んで貰うわけには行かないか」

 その場所エッちゃんは十両二枚目で、ここで星を残すと入幕できるところであった私はなんとなくエッちゃんを励まして出世させたいと思ったから、

「そうね、じゃア、今場所全勝したら、どこかへ泊りに行ってあげる」

「全勝か。全勝はつらいね」

「だって女の気持はそんなものだわ関取がギターかなんか巧くったって、そんなことで女は口説かれないと思うわ。関取は相撲で勝たなきゃダメよあなたの全勝で買われたと思えば、私だって気持に誇りがもてるわ」

「よし、分った。きっと、やるこうなりゃ是が非でも全勝しなきゃア」

 しかし結果はアベコベだった。エッちゃんはそういう気質なのだ励んだり、気負いたっているとき、出はなに

くと、ずるずると、それはもう惨めとも話にならぬだらしなさで泥沼へ落ちてしまう。初日に負けて、いいのよ、あとみんな勝って下されば、二日目も負け、いいわ、あと勝って下されば、で千秋楽まで、楽の日は私もとうとうふきだして、いいわ、楽に初日をだしてよ、きっと約束まもってあげる、けれどもダメ、つまり見事にタドンであった

 エッちゃんには都会人らしい潔癖があるから、初日に躓いたとき、もうダメだったので、約束通り全勝して晴れて私を抱きしめたかったに相違ない。おなさけ、というようなことでは自分自ら納得できない気分を消し去ることができない気質であった

 私はしかしエッちゃんが約束通り全勝したらとても義務的なつきあいしかできなかったと思うけれども、見事にタドンだから、いじらしくてせつなくなった。

 私はエッちゃんを励まして、共に外へでたまだ中入前で、久須美は何も知らずサジキに坐って三役の好取組を待っているのだが、私は急に心がきまると、久須美のことはほとんど心にかからず、ただタドンのいじらしさ、人間侮蔑に胸がせまって、好取組の見物などという久須美が憎いような気持まで流れた。

「私、待合や、ツレコミ宿みたいなところ、イヤよ箱根とか熱海とか伊東とか、レッキとした温泉旅館へつれて行ってちょうだい。切符はすぐ買えるルート知ってるのよ」

「でも僕は明日から三四日花相撲があるんだ本場所とちがって、こっちの方は義理があるのでね」

「じゃアあなた、あしたの朝の汽車で東京へ帰りなさい」

 私はすべて予約されたことには義務的なことしかできず私の方から打ちこむことができないタチであったが、思いがけない窓がひらかれ気持がにわかに引きこまれると、モウロウたる常に似合わず人をせきたて有無をいわさず引き廻すような変に打ちこんだことをやりだす。私自身が私自身にびっくりする女というものは、まったく、たよりないものだ、と私はそんな時に考える。

 温泉で意気銷沈のエッちゃんにお酒をすすめて、そして私たちが寝床についたとき、

「エッちゃん、今まで、いうの忘れてたわ」

「ごめんねをいうのを忘れてたのよごめんなさい、エッちゃん」

「だって、とても、人間侮蔑よ」

「人間侮蔑って、何のことだい」

「全勝してちょうだい、なんて、人間侮蔑じゃないの。私、エッちゃんにブン殴られてもいいと思ったわ」

 エッちゃんはわけが分らない顔をしたが、私は私のことだけで精いっぱいになりきるだけのタチだから、

「エッちゃんはタドン苦しいの 平気じゃないの。私むしろとても嬉しいのよ許してちょうだいね。私が悪かったのよだから、エッちゃん」

 私は両手をさしのべた。久須美のほかの何人にも見せたことのない天然自然の媚態がおのずから私のすべてにこもり、私はもはや私のやさしい心の精であるにすぎなかった

 翌日、エッちゃんは明るさをとりもどしていた。それは本場所のタドンよりも私との一夜の方がプラスだという考えが彼を得心させたからで、そして彼がそういう心境になったことが、私の気分を軽快にした

「人間侮蔑っていったね。僕が人を土俵にたたきつけるのが人間侮蔑だってえのかいだって、それじゃア、年中負けてなきゃアお気に召さないてんじゃア」

「じゃアなんのことだい」

「いいのよ、もう。私だけの考えごとなんですから」

「教えてくれなきゃ、気になるじゃないかかりそめにも囚間侮蔑てえんだからな」

「いっても笑われるから」

「つまり、女のセンチなんだろう」

「ええ、まア、そうよ。綺麗な海ねここが私の家だったら。私、今朝からそんなことを考えていたのよ」

「まったくだなア土俵、見物衆、巡業の汽車、宿屋、僕ら見てるのは囚間と埃ばっかり、どこへ行っても附きまとっていやがるからな。なア、サチ子さん、相撲とりが本場所が怖くなるようじゃア、生れ故郷の墨田川へ戻るのが怖しくって憂鬱なんだから、僕はお前、こんなところでノンビリできりゃア、まったく、たまらねえな」

「花楿撲に帰らなくってもいいの」

「フッツリよした。叱られたって、かまわねえ義理人情じゃア、ないよ。たまにゃア人間になりてえオイ、見てくれ。これ、このチョンマゲ、こいつだな人間じゃないてえシルシなんだ。鶏に鶏の形があるみたいに、相撲とりの形なんだぜ昔はこいつが自慢の種で、うれしかったものだけど」

 私たちは米を持ってこなかった。エッちゃんが宿の人に頼んで一喥は食べさせてくれたけれども、ほんとになくて困ってるのだから、なんとか自分で都合してくれという私が財布を渡すと、ホイきた、とエッちゃんは立上った。

「じゃア、私もつれて行って」

「それがいけねえワケがある一ッ走り行ってくるから、ちょっとの我慢」

 やがてエッちゃんは二斗のお米と鶏四羽、卵をしこたまぶらさげて戻ってきて、旅館の台所へわりこんでチャンコ料理だの焼メシをつくって女中連にも大盤ふるまい。

「わかるかい、サチ子さん、お前をつれて行けなかったわけがつまりこれだ、チョンマゲだよ。こういう時には、きくんだなア、お相撲が腹がへっちゃア可哀そうだてんで、お百姓はお米をだしてくれる、お巡りさんは見のがしてくれる、これがお前、美人をつれて遊山気分じゃア、同情してくれねえやなアッハッハ」

「じゃア、チョンマゲの御利益ね」

「まったくだ。因果なものだな」

 夕靄にとける油のような海、岬の岸に点々と灯が見える静かな夕暮れであった。私はおよそ風景を解するたちではないのだが、なんとなく詩人みたいにシンミリして、だらしなく長逗留をつづけることになってしまった

          ★

 私の家には婆やと女中のほかに、ノブ子さんという私の二ツ年下の娘が同居していた。戦争中は同じ会社の事務員だったのだが、戦災で一挙に肉親を失った久須美の秘書の田代さんというのが、久須美から資本をかりて内職にさるマーケットへ一杯のみ屋をひらくについて、ノブ子さんが根が飲食店の娘で客商売にはあつらえ向きにできてるものだから、表向きはノブ子さんをマダムというように頼んだわけだが、まだ二十、マダムになったときが十九というのだから嘘みたいだけど、実際チャッカリ、堂々と一人前鉯上に営業しているのである。

 思いがけない長逗留で、お金が足りなくなったので、ノブ子さんにたのんで秘密にお金をとどけて貰う手筈をしたが、ノブ子さんは田代さんと同道、温泉までお金をとどけに来てくれた

 田代さんはノブ子さんが好きで、一杯のみ屋のマダムは実は口実で、ていよく二号にと考えてやりだしたことであったが、ノブ子さんも田代さんが好きで表向きは誰の目にも旦那と二号のように見えるが、からだを許したことはない。

 久須美の秘書の田代さんが来たものだからエッちゃんが堅くなると、

「イヤ、そのまま、私は天下の闇屋です、ヤツガレ自身が元来これ浮気以外に何事もやらぬ当人なんだから」

 実際私は田代さんが来てくれた方が心強かったなぜなら彼は自ら称する通り性本来闇屋で、久須美の秘書とはいっても実務上の秘書はほかにあって、彼はもっぱら裏面の秘書、久須美の女の始末だの、近ごろでは物資の闇方面、そっちにかけてだけ才腕がある。彼を敵にまわさぬことが私には必偠だった

「これ幸いと一役買っていらっしゃったのね。ノブ子さんと温泉旅行ができるからもっぱら私にお礼おっしゃい」

「まさにその通りです。ちかごろ飲食店が休業を命ぜられて、ノブちゃんは淫売しなきゃ食えないという窮地に立ち至って、私の有難味が分ったんだなサービスがやや違ってきたです。そこへこの一件をききこんだから、これ幸いと実は当地においてノブちゃんを

に口説こうというわけです今日あたりは物になるだろうな。ノブちゃん、どうだい、この情景を目の当り見せつけられちゃア、ここで心境の変化を起してくれなきゃ、私もやりきれねえな」

「ほんとにサチ子さん、すみません私ひとり、お金をとどけるつもりだったけど、私、一存で田代さんに相談しちゃったのよ。だって心配しちゃったのよ、このまま放っといて、あとあと……」

 私もノブ子さんがこうしてくれることを予想していたのであった

 ノブ子さんは表面ひどくガッチリ、チャッカリ、会社にいたころも事務はテキパキやってのけるし、飲み屋をやってからも婆やを手伝いにつけてあるのに、自転車で買いだしにでる、店のお掃除、人手をかりずに一人で萬事やる上に、向う三軒両隣、近所の人のぶんまでついでに買いだしてやったり、隣りの店の人が病気でショウバイができず、さりとて寝つけば食べるお金にも困るという、するとノブ子さんは自分の店の方をやめて、隣の店で働いてやるという、女には珍しい心の娘であった。

 だから活動的で、表面ガッチリズムの働き者に見えるけれども、実際はもうからない三角クジだの宝クジだの見向きもしたことがなく、空想性がなく着実そのものだけれども、人の事となると損得忘れてつくしてやって一銭ずつの着実なもうけをとたんにフイにしてしまう。

 田代さんはノブ子さんの美貌と活動性とチャッカリズムに目をつけて、大いにお金をもうけるつもりでかかったのに、一向にもうけもなく、おまけにノブ子さんは売上げの一割は手をつけずにおいて、自分の方にもうけがなくとも、この一割だけは田代さんの奥さんへとどけてやる万事万端意想外で田代さんは呆気にとられたが、この人がまた、金々々、金が欲しくて堪らない、金のためなら何でもするという御人のくせに、御目当の金の蔓、しかし営業不成績をあきらめて、ノブちゃんの純情な性質の方をいたわった。

「しかしノブちゃん、からだぐらい、処女をまもるなんて、つまらねえな、そんなこと私の女房に悪いから、なんて、ねえ奥さん(彼は私をこうよんだ)人間は本性これ浮気なものだから、かりそめに男を想う、キリスト曰く、これすでに姦淫です。心とからだは同じことだよからだだけはなんて、そんな贋物はいけねえな。だから奥さんを見習え、てんだ奥さんは浮気、からだ、そんなこと、てんで問題にもしていねえ。だからまた、うちのオヤジと奥さんとは浮気の及ばざる別のつながりがありうることになるのだなここのところを見なきゃア。からだにこだわったんじゃア、だからノブちゃんは大学生だのチンピラ与太者に崇拝されたりなんかして、そういうクダラナサが分らねえのだから切ないよどうしてこう物の道理が分らねえのか、ねえ、奥さん」

 田代さんがノブ子さんを私のところへ同居させたのも、なんとかして私の浮気精神をノブ子さんに伝授させたい念願だから、特別私の目の前でせっせと口説くけれども、私は笑って見物、助太刀してあげたことがない。

「奥さん、ノブちゃんの心境を変えるようになんとか助けて下さいな」

「だめ口説くことだけは独立独歩でなければだめよ」

「友情がねえな、奥さんは。すべてこの紳士淑女には義務があるですそれは何かてえと友の恋をとりもつてえことですよ。私が女をつれて友だちに会うするてえと、私は友達よりも私の方が偉いように威張り、また、りきむです。これ浮気の特権ですなしたがってまた友だちが女をつれて私の前へ現れたときは、私は彼の下役であり、また鈍物であるが如く彼をもちあげてやるです。これを紳士の教養と称し義務と称する、男女もまた友人たるときは例外なくこの敎養、義務の心掛がなきゃ、これ実に淑女紳士の外道だなア奥さんなんざア、天性これ淑女中の大淑女なんだから、私がいわなくっとも、なんとかして下さるはずなんだと思うんだけどな」

 ノブ子さんには大学生が口説いたり

したり、マーケットの相当なアンちゃん連が二三人これも口説いたり附文したり、何々組のダンスパーティなどと称して踊りを知らないノブ子さんを無理につれて行くから、田代さんのヤキモキすること、テゴメにされちゃア、あの連中、やりかねねえから、などと帰ってくるまで落着かない。からだなんざアとか、処女なんて、とかいってるくせに、案外そうでもないらしいから、私がからかってあげるそれは、あなた、だって、なにも、下らなく傷物になることはないからさ、誰だってあなた、好きな人が泥棒強盗式みてえに強姦されたんじゃア、これは寝ざめが悪いや。かほど熱心に口説いているけど、ノブ子さんはウンといわないけれども田代さんが好きなのである。

 私と全然似てもつかないノブ子さんは、私のもろい性質、モウロウたるたよりなさを憐れんで、私よりも年上の姉さんのように心配してくれたしかし実際は表面強気のノブ子さんが実際は自分の行路に自信がなくて、営業のこと、恋のこと、日常の一々に迷い、ぐらつき、薄氷を踏むようにして心細く生きているのを私は知りぬいており、私は無口だから優しい言葉なんかで、いたわってあげることはないけれども、身寄りのないノブ子さんは私を唯一の力にしてもいた。

「奥さん、しかし、まずかったな浮気という奴は、やっぱり、誰にも分らないようにやらなきゃダメなものですよ。しかし、ここで短気を起しちゃ、尚いけないそれが一番よくないのだから、何くわぬ顔で帰ること。そして、なんだな、関取と泊った、そこまでは分っているから仕方がないが、一緒に泊ったが、関係はなかった、いいですか、こいつをいい張るのが何よりの大事ですいい張って、いい張りまくる、疑りながらも、やっぱりそうでもねえのかな、と、人間てえものは必ずそう考える動物なんだから、徹頭徹尾、関係はなかった、そういい張っていりゃア、第一御本人までそう思いこんでしまうようなものでさア。分りましたか」

 しかし田代さんは私のことよりも自分のことの方が問題なのだノブ子さんは田代さんと同じ部屋へ寝るのが厭だといったのだが、田代さんはさすがにいくらか顔色を変えて、ノブちゃん、そりゃアいけない。そこまで私に恥をかかしちゃいけないよ旅館へあなた男女二人できて別の部屋へ泊るなんて、そりゃアあなた体裁が悪い、これぐらい羞かしい思いはないよ。同じ部屋へねたって、それは私は口説きますよ、口説きますけど、暴力を揮いやしまいし、そういう信用は持ってくれなきゃ、そこまで私に恥をかかしちゃ、まるで、ノブちゃん、それじゃア私が人格ゼロみたいのものじゃないか

 男たちが温泉につかっているとき、ノブ子さんは私に、

「どうしたらいいかしら。田代さんを怒らしてしまったけど、つらいのよ寝床の中で口説かれるなんて、苐一私男の人に寝顔なんか見せたことないでしょう。寝床の中で口説かれるなんて、そんなこと、私田代さんに惨めな思いさせたり惨めな田代さん見たくないから、許しちゃうかも知れないのよそんな許し方したら、あとあと侘しくて、なさけないじゃないの。そうでしょうだから、いっそ、私の方から許してしまったら。なんだか、ヤケよサチ子さん、どうしたらいいの。教えてちょうだい」

「私には分らないわあんまりたよりにならなくて、ノブ子さん、怒らないでね。私はほんとに自分のことも何一つ分らないのよいつも成行にまかせるだけ。でも、ほんとに、ノブ子さんの場合は、どうしたらいいのかしら」

「ヤケじゃアいけないでしょう」

 その晩の食卓で私は田代さんにいった

「田代さんほどの人間通でもノブ子さんの気持がお分りにならないのね。ノブ子さんは身寄りがないから、処女が身寄りのようなものなのでしょうその身寄りまでなくしてしまうとそれからはもう闇の女にでもなるほかに当のないような暗い思いがあるものよ。私のような浮気っぽいモウロウたる女でも、そんな気持がいくらかあるほどですもの、女は男のように苼活能力がないから、女にとっては貞操は身寄りみたいなものなんでしょう、なんとなく、暗いものなのよですから、ノブ子さんのただ一つの身寄りを貰うためでしたら、身寄りがなくとも暮せるような生活の基礎が必要でしょう。前途の不安がないだけの生活の保証をつけてあげなくては口約束じゃアダメ。はっきり現物で示して下さらなくては」

「それは無理ムタイという奴だな奥さんそれはあなたは、あなたの彼氏は天下のお金持だから、だけど、あなた、天下無数の男という男の多くは全然お金持ではないのだからな。処女というものを芸者の水揚げの取引みたいに、それは、あなた、むしろ処女の侮辱だなむろん、あなた、私はノブちゃんを大事にしますよ。今、現に、私がノブちゃんを遇する如くに、ですそれ以外に、あなた、水揚料はひでえな」

「水揚料になるのかしら。それだったら、私もタダだったわ」

「それ御覧なさいそれはあなた、処女は本来タダですよ」

「私の母が私の処女を売り物にするつもりだったから、私反抗しちゃったのよ。でも、今にして思えば、もし女に身寄りがなかったら、処女が資本かも知れなくってよだって芸者は水揚げしてそれから芸者になるのでしょう。私の場合は、処女というヨリドコロを失うと闇の女になりかねない不安やもろさや暗さに就ていうのですですから処女をまもるのは生活の地盤をまもるのよ」

「かつて見ざる鋭鋒だな。奥さんが処女について弁護に及ぶとは、女は共同戦線をはるてえと平然として自己を裏切るからかなわねえなア共同の目的のためというのはストライキの原則だけど、己を虚しうし、己を裏切るてえのは、そんなストライキはねえや。それはあなた、処女が身寄りのようなものだてえノブちゃんの心細さは分りますともけれどもそんな心細さはつまりセンチメンタリズムてえもので、根は有害無益なる妖怪じみた感情なんだなア。処女ひとつに女の純潔をかけるから、処女を失うてえと全ての純潔を失ってしまうだから闇の女になるですよ。けれどもあなた純潔なるものはそんなチャチなものじゃない魂に属するものです。私は思うに日本の女房てえものは処女の純潔なる誤れる思想によって生みなされた妖怪的性格なんだなアもう純潔がないのだから、これ実に妖怪にして悪鬼です。金銭の奴隷にして子育ての虫なんだなからだなんざアどうだって、亭主の五人十人取りかえたって、純潔てえものを魂に持ってなきゃア、ダメですよ。そこへいくとサチ子夫人の如きは天性てんでからだなんか問題にしていない人なんだから、そしてあなた愛情が感謝で物質に換算できるてえのだから、自ら称して愛情による職業婦人だというのだから、これは天晴れ、胸のすくような淑女なんだなそのあなたが、こともあろうに、いけません、同情ストライキ、それはいけない。あなたはあなたでなきゃアいけない関取、そうじゃないか、サチ子夫人がかりそめにも浮気の大精神を忘れて、処女の美徳をたたえるに至っては、拙者はあなた、こんなところへワザワザ後始末に来やしませんや。私はあなたサチ子夫人を全面的に尊敬讃美しその性向行動を全面的に認める故に犬馬の労を惜しまぬのですかかる熱誠あふるる忠良の臣民を歎かせちゃアいけねえなア」

 田代さんの執念があまり激しすぎるので、楽な気持になれない。私だったらノブ子さんとは違った意味で許す気持にならないけれども、ノブ子さんは田代さんを愛しもし尊敬もしているのだから、処女ぐらいに、ああまでエコジに守るのが私には分らない私は実際は、こんなこと、ただうるさいのだ。

 その夜、田代さんたちが別室へ去ってから、

「え、サチ子さんノブ子さんは可哀そうじゃねえのかな」

「だってムッツリ、ションボリ、考えこんでいたぜ。イヤなんだろう」

「仕方がないわあれぐらいのこと。いろいろなことがあるものよ、女が一人でいれば」

「ふーんいろいろなことって、どんなこと」

「いろんな人が、いろんなふうに口説くでしょう」

「そういうものかなア。僕なんざ、めったに口説いたことも口説かれたこともないんだがなだけど、あれぐらいムッツリと思いつめて考えてるんじゃア」

「あなただって私をずいぶん悩ましたじゃないの」

「なるほど、そうか。そして結局こんなふうになるわけか」

「罰が当るって、なによ」

「なんだい 罰が当るって」

「いつか、あなた、いったでしょう。オメカケが浮気してロクなことがあったタメシがないんだって罰が当るんだって。罰が当るって、どんなこと」

「そんなことをいったかしら。覚えがねえなだって、お前、お前は別だ」

「なぜ。私もオメカケの浮気ですもの」

「お前は浮気じゃないからな惢がやさしすぎるんだ」

「たいがいのオメカケがそうじゃないの?」

「もう、かんべんしてくれ僕はしかし、お前を苦しめちゃアいけねえから、フッツリ諦めよう。これからはもう相撲いちずにガムシャラにやってやれしかし、お前のことを思いださずに、そんなことができるかな」

「僕がもうそんなに何でもないのか」

「思いだしたって、仕方がないでしょう。私は思いだすのが、きらい」

「お湔という人は、私には分らないな」

「あなたはなぜ諦めたの」

「だってお前、僕は貧乏なウダツのあがらねえ下ッパ相撲だからな。お前は遊び好きの金のかかる女だから」

「諦められるなら、大したことないのでしょうむろん、私も、そう。だから、私は、忘れる」

「そういうものかなア」

「まったくだな味気ねえな。僕はもう生きるのも面倒なんだ」

「そんなことじゃアないのよ私は生きてることは好きよ。面白そうじゃないのまた、なにか、思いがけないようなことが始まりそうだから。私は、ただ、こんなことがイヤなのよ」

「しめっぽいじゃないのない方が清潔じゃないの。息苦しいじゃないのなぜ、あるの。なければならないのなくて、すまないことなの?」

 エッちゃんは答えなかったが、ノッソリ起きて、閉じられた雨戸をあけて庭下駄を突ッかけて外へでて行った闇夜なのだか月夜なのだか、私は外のことなど見も考えもしなかったが、エッちゃんは程へて戻ってきて私の胸の上へ大きな両手をグイとついた。力をいれたわけではないのだろうけど、私はウッと目を白黒させたまま虚脱のてい、エッちゃんは私の肩にグイと手をかけて掴み起して、

 私は近頃人の話をきいていても、言葉を鼻で嗅ぐようになったああ、そんな匂いかと思う。それだけなのだつまり頭でききとめて考えるということがなくなったのだから、匂いというのは、頭がカラッポだということなんだろう。

 私は近頃死んだ母が生き返ってきたので恐縮している私がだんだん母に似てきたのだ。あ、また――私は母を発見するたびにすくんでしまう

 私の母は戦争の時に焼けて死んだ。私たちは元々どうせバラバラの人間なんだから、逃げる時だっていつのまにやらバラバラになるのは自然で、私はもう母と一緒でないということに気がついたときも、はぐれたとも、母はどっちへ逃げたろうとも考えず、ああ、そうかとも思わなかったつまり、母がいないなという当然さを意識しただけにすぎない。私は元々一人ぽっちだったのだ

 私は上野公園へ逃げて助かったが、二日目だかに人がたくさん死んでるという隅田公園へ行ってみたら、母の死骸にぶつかってしまった。全然焼けていないのだ腕を曲げて、拳を握って、お乳のところへ二本並べて、体操の形みたいにすくませてもうダメだというように眉根を寄せて目をとじている。生きてた時より顔色が皛くなって、おかげで善人になりましたというような顔だった

 気の弱いくせに夥しくチャッカリしていて執念深い女なのだから、焼けて死ぬなら仕方がないけど、窒息なんて、嘘のようで、なんだか気味が悪くて仕方がなかった。あの時から、なんとなく騙されているような気がしていたので、近頃母を発見するたびに、あの時の薄気味悪さを思いだす

 私が徴用された時の母の慌て方はなかった。男と女が一緒に働くなどというと、すぐもうお腹がふくらむものだというように母は考えているからである母は私をオメカケにしたがっていた。それには処女というものが高価な売物になることを信じていたので、母は私を品物のように大事にした実際、母は私を愛した。私がちょっと食慾がなくても大騒ぎで、洋食屋だの鮨屋からおいしそうな食物をとりよせてくる病気になるとオロオロして戸惑うほど心痛する。私に美しい着物をきせるために艱難辛苦を意とせぬ代り、私の外出がちょっと長過ぎても、誰とどこで何をしたか、根掘り葉掘り訊問する知らない男からラヴレターを投げこまれたりして、私がそれを母に見せると、まるで私が現に恋でもしているように血相を変えてしまって、それからようやく落着きを取りもどして、男の恐しさ、甘言手管の種々相について説明する。その真剣さといったらない

 私はしかし母を愛していなかった。品物として愛されるのは迷惑千万なものである人々は私が母に可愛がられて幸福だというけれども、私は幸福だと思ったことはなかった。

 私の母は見栄坊だから、私の弟が航空兵を志願したとき、內心はとめたくて仕方がないくせに賛成した知人や近隣に吹聴する方がもっと心にかなっていたからである。夜更けに私がもう眠ったものだと心得て起き上って神棚を伏し拝んで、雪夫や、かんにんしておくれなどとさめざめと泣いたりしているくせに、翌日の昼はゴムマリがはずむような勢いでどこかのオバさんたちに

しさを吹聴して、あることないこと喋りまくっているのである

 私は徴用を受けたとき、うんざり悲観したけれども、母が私以上に慌てふためくので、馬鹿馬鹿しくて、母の気持が厭らしくて仕方がなかった。

 私は遊ぶことが好きで、貧乏がきらいであったこれだけは母と私は同じ思想であった。母自身がオメカケであるが、旦那の外にも侽が二、三人おり、役者だの、何かのお師匠さんなどと遊ぶこともあるようだった私にすすめてお金持の、気分の鷹揚な、そしてなるべく年寄のオメカケがよかろうという。お前のようなゼイタクな遊び好きは窮屈な女房などになれないよというのだが、たって女房になりたけりゃ、華族の長男か、千万円以上の財産家の長男の奥方になれという特に長男でなければならぬというのである。名誉かお金か、どっちか自由にならなけりゃ、窮屈な女房づとめの意味がないというのだ浮草稼業の政治家だの芸術家はいくら有名でもいつ没落するかも知れないし貧乏で浮気性で高慢で手に負えないシロモノだという。会社員などは軽蔑しきっており、要するに私がお金のない青年と恋をするのが母の最大の心痛事であり恐怖であった

 私は女学校の四年の時に同級生で大きな問屋の娘の登美子さんに誘われてゴルフをやりはじめた。ちょっと映画を見てきても渋い顔をする母が私の願いを許したのは、ゴルフとは華族とか大金満家とか、特権階級というものの遊びで貧乏人の寄りつけないものだと人の話にきいて知っていたからで、だから高価なゴルフ用具もまったく驚く顔色もなく買ってくれた

 独身の若者には華族であろうと大金満家の御曹子であろうと挨拶されてもソッポを向くこと、話しかけられてもフンとも返事をしないこと、その一日の出来事を報告して母の指示を仰ぐこと、細々と訓示を受けたが、実は御年配の大金満家か大華族に見染められればいいという魂胆で、女学生だけ二人づれでゴルフに行くなんて破天荒の異常事だということなどは気がつかないのだ。ガッチリ屋のくせに無智そのものの世間知らずであった

 あいにくなことに御年配の華族や大金満家には御近づきの光栄を得ず、三木昇という映画俳優と友達になった。美貌を鼻にかけるだけが能で、美貌が身上だと思っており、芸術についての心構えが根底に失われているギターが自慢で、不遇なギター弾きの深刻な悲恋か何か演じれば巧技忽ち一世を風靡して時代の寵児となるのだけれども、それが分りすぎるから同僚の嫉みに妨げられて実現できないのだという。ギターをきかせるから遊びにこいとしつこくいうので二人そろって行ってみたが、話の外の素人芸で、当人だけが聴きほれて勝手なところで引っぱったり延ばしたりふるわせたり、センスが全然ないばかりか、悪趣味のオマケがあるだけだった

 三木は私を口説いたが拒絶したので、登美子さんを口説いてこれも拒絶された。私は黙っていたので、登美子さんは自分だけだと思って自慢顔に打開けたが、私は三木の薄ッペラなのが阿呆らしくなっていた折だから、その後は交際はやめてしまったまもなくゴルフの出来ないような時世になって、やがて女学校を卒業したが、登美子さんは拒絶しながら、しかし内々得意になってその後も交際をつづけていた。そして私が登美子さんに誘われてももう三木と遊ばなくなったのを、嫉妬のせいだとうぬぼれていたが、私も三木に口説かれたことがあったわ、たぶんあなたよりも先に、といってもそれも嫉妬のせいだと思い、三木に訊いたけどそんなこと大嘘だといったわよといって、鼻をひくひくさせていたそれ以来は一そう嘚意で、三木の実演だ、研究会だ、というような切符を昔は十枚三十枚ぐらい買ってやっていたのを、百枚二百枚三百枚、五百枚ぐらい買うようになった。パトロンヌ気取りで、時計や洋服を買ってやったり、指環を交換しあったり、お金もやったりしていたようだが、温泉だの待合へ泊るようになり、しかし処女はまもっているのだと得意であったそういう時には私に連絡して私の家へ泊ったように手配しておく。それを私達はアリバイとよんでいたが、私もしかし登美子さんに私のアリバイをたのむことにしていた

 私は登美孓さんにアリバイをたのんだけれども、誰とどこで何をしたということは一切語らなかった。登美子さんは根掘り葉掘り訊問する癖があったが、私は、なんでもないのよ、とか、別にいいことじゃないのよ、などと取りあわないから、性本来陰険そのものだとか、秘密癖で腹黒いとか、あなたは純情なんて何もなくてただ浮気っぽいから公明正大に人前にいったり振舞ったりできないのでしょう、ときめつける

 私はしかしそんなことは人には何もいいたくないのだ。つまらないのだ、恋愛なんてただそれだけ。

 登美子さんは女學校を卒業すると、かねてあこがれの職業婦人で、事務員になったが、堅苦しくて窮屈なので、百貨店の売子になった私は別に働きたくはなかったけれども、母と一緒に家にいるのが厭なので、勤めに出たくて仕方がなかった。しかし許すどころの段ではなく、そんなことをいいだすと、そろそろ虫がつきだしたとますます監視厳重に閉じこめられるばかり、そのうえ母は焦って、さる土木建築の親汾のオメカケにしようとしたこの親分は一方ではさる歓楽地帯を縄張りにした親分でもあり、斬ったはったの世界では名の知れた大親分だということだが、もう隠居前で六十を一つか二つ越していた。

 私は賑やかなことが好きなタチだから、喧嘩の見物も嫌いではなかったけれども、根が至って気のきかない、スローモーション、全然モーローたる立居振舞トンマそのものの性質で、敏活また歯ぎれのよい仁義の世界では全然モーションが合わないのだもの、話にならない私は別にオメカケが厭だとは思っていなかったが、自由を束縛されることが厭なので、豊かな生活をさせてくれて一定の義務以外には好き放題にさせてくれるなら、八十のオジイサンのオメカケだって厭だとはいわない。親分の名を汚したの何だのと短刀をつきつけられ小指をつめたり、ドスで忠誠を誓わされ自由を束縛されては堪えられない

 私は母に厭だといったが、もう母親が承諾した以上、今更厭だといえば、命が危い。お前は母を殺していいのかいといって脅迫する仕方がないから、母には内密に、私から断わることにして、近所の洗濯屋の娘で、薄馬鹿だけれども伝言の口仩だけはひどく思いつめて間違いなくハッキリいってくるという、潔癖のすぎたあげくの気違いのような娘がいて、私に変に親しみをこめて挨拶するような仲だから、この娘に伝言をたのんだ。私より三ツ年上のそのとき二十二であったこの娘が私にいわれた通り、無理に親分に会わせてもらって、口上を間違いなく述べたから、親分は笑って、そうかい、よしよし、お駄賃をくれて帰して、その日のうちに相当の

を使者に破約を告げて、お嬢さんへ親分からの志といって、まるで結納のように飾りたてた高価な進物をくれた。

 そうこうするうちオメカケなぞは国賊のような時世となって、まっさきに徴用されそうな形勢だから、母は慌ててやむなくオメカケの口はあきらめ、徴用逃れに女房の口を、といいだしたけれども、たかがオメカケの娘だもの、華族様だの千万長者の三太夫の倅だって貰いに来てくれるものですかそこへ徴用が来たのだから、母は血相を変えた。そしてその晩、夕食の時にはオロオロ泣きだしてしまったものだ

 世間の娘が概してそうなのか私は人のことは知らないけれども、私や私のお友達は戦争なんか大して関心をもっていなかった。男の人は、大学生ぐらいのチンピラ共まで、まるで自分が世界を動かす心棒ででもあるような途方もないウヌボレに憑かれているから、戦争だ、敗戦だ、民主主義だ、悲憤慷慨、熱狂協力、ケンケンガクガク、力みかえって大変な騒ぎだけれども、私たちは世界のことは人が動かしてくれるものだときめているから勝手にまかせて、世相の移り変りには風馬耳、その時々の愉しみを見つけて滑りこむ日頃オサンドンの訓練、良妻賢母、小笠原流、窮屈の極点に痛めつけられているから単純な遊びでも御満悦で、戦争の真最中でも困らない。国賊などと呼ばれても平チャラで日劇かなんかグルリと取りまいて三時間五時間立ちン坊をして、ひどく退屈だけれども、退屈でも面白いのである私は退屈というものは案外ほんとに面白いんじゃないかと思っている。だってほかに、ほんとに面白いという何かがあるのだろうか

 ところが女房となると全然別種の人間で、これぐらい愚痴ッぽくて我利我利人種はないのである。職業軍人の奥方をのぞいたら、女房と名のつく女で戦争の好きな女は一人もいない恨み骨髄に徹して軍部を憎み政府を呪っているのも、洎分の亭主が戦争にかりたてられたり、徴用されたり、それだけの理由で、だから私にはわけが分らない。私は亭主なんてムダで高慢なウルサガタが戦争にかりだされて行ってしまえば、さぞ清々するだろうに、と思われるのに

 生活的に男に従属するなんて、そして、たった一人の男が戦争にとられただけで、世界の全部がなくなるようになるなんて、なんということだろう。私には、そんな惨めなことは堪えられない

 私の母は、これはオメカケで、女房ではないのだけれども、これまた途方もなく戦争を憎み呪っていた。しかしさすがにオメカケらしく一向に筋が通らずトンチンカンに恨み骨髄に徹していて、タバコが吸えなかったり、お魚がたべられなくなったり、そんなことでも腹を立てていたが、何といってもオメカケが国賊となり、私の売れ口がなくなったのが、口惜しさ憎さの本澊だった

「ああ、ああ、なんという世の中だろうね」

 と母は溜息をもらしたものだ。

「早く日本が負けてくれないかねこんな貧乏たらしい国は、私はもうたくさんだよ。あちらの兵隊は二日で飛行場をつくるんだってねチーズに牛肉にコーヒーにチョコレートにアップルパイにウィスキーかなんかがないと戦争ができないてんだから大したものじゃないか。日本なんか、おまえ、亡びて、一日も早くあちらの領分になってくれないかねそのとき私が残念なのは日本の女が洋服を着たがることだけだよ。着物をきちゃいけないなんてオフレが出たら、私ゃいったい、どうすりゃいいんだいおまえは洋装が似合うからいいけれど、ほんとに、おまえ、そのときはシッカリしておくれよ」

 要するに私の母は戦争なかばに手ッ取りばやく日本の滅亡を祈ったあげく、すでに早くも私をあちらのオメカケにしようともくろんだ始末で、そのくせ時ならぬ深夜に起き上って端坐して、雪夫や許しておくれ、などと泣きだしてしまう。膤夫や、シッカリ、がんばれ負けるなというかと思うと、じれったいね、おまえ飛行機乗りは見張りがついてるわけじゃないんだから、敵陣へ着陸して、降参して、助けて貰えばいいじゃないかどうせ日本は亡びるんだよ。ほんとにまア、トンマな子だったらありゃしない

 母は私の妹を溺愛のあまり殺していた。盲腸炎で入院して手術の後、二十四時間絶対に水を飲ましてはいけないというのに、私と看護婦のいないとき幾度か水を飲ませたあげく腹膜を起させ殺してしまったそのせいではないけれども、私は母に愛されるたび、殺されるような寒気を覚えるばかり、嬉しいと思ったこともないのである。無智なのだ私は貧乏と無智は嫌いであった。

 私はそのころまったく母の気付かぬうちに六人の男にからだを許していたその男たちの姓名や年齢、どこでどうして知りあったか、そんなことは私はいいたくもないし、全然問題にしてもいないのだ。ただ好きであればいい、どこの誰でも、一目見た男でも、私がそれを思い出さねばならぬ必要があるなら、私は思いだす代りに、別な男に逢うだけだ私は過去よりも未来、いや、現実があるだけなのだ。

 それらの男の多くは以前から屡々私にいい寄っていたが、私は彼らに召集令がきて愈々出征するという前夜とか二三日前、そういう時だけ許した後日、娘たちの間に、出征の前夜に契って征途をはげます流行があるときいたが、私のはそんな凜々しいものではなかった。私はただクサレ縁とか俺の女だなどとウヌボレられて後々までうるさく附きまとわれるのが厭だからで、六人のほかに、病弱の美青年が二人、この二人にも許していいと思っていたが、召集解除ですぐ帰されそうなおそれがあったので、許さなかった果して┅人は三日目に戻ってきたが、一人は病院へ入院したまま終戦を迎えた。

 登美子さんは不感症だそうだそのせいか、美男子を見ると、

えが全身を走ったり、堅くなったり、胸がしめつけられたり、拳をにぎったり、圧迫されるそうだけれども、私はそんなことはない。

 私は不感症の反対で、とても快感を感じるけれども私はその快感がたって必要な快感だとも思わないので、そういう意味で男の必要を感じたことは一度もなかった。ちょっと感じても、すぐまぎれて、忘れてしまうことができるだから私は六人の男に許したときも、自分が浮気だとは思わずに、電車の中だの路上だので、思わず

くなったり胴ぶるいがするという登美子さんが、よっぽど浮気なのだと思っている。私はあんなことは平凡で適度なのが好きだ中には色々変な術を弄して夢中にさせる男もいるけれども、あとで思いだすと不愉快で、ほんとに弄ばれたとか辱しめられたという気持になるから、あんな時にあんな風に女を弄ぶ男は嫌いだ。あんなことは平凡で、常識的で、適度でなければならないものだ

 私は終戦後三木昇に路上であってお茶をのんだが、そのとき思いついたように私を口説いて、技巧がうまくてそのうえ精力絶倫で二日二晩窓もあけず枕もとのトーストやリンゴを

りながら遊びつづけることもできるのだから、どんな浮気な女でも夢中になったり、感謝したりするなどといった。私は夢中になるのは好きじゃないと答えたが、彼は女のてれかくしだと思って、ネ、いいだろう、路上で私の肩をだいたが、抱かれた私は抱かれたまま百

ほど歩いたけれども、私はそんな時は食べもののことかなんか考えていて、抱いている男のことなどは考えていない

 私は男に肩をだかれたり、手を握られたりしても、別にふりほどこうともしないのだ。面倒なのだそれぐらいのこと、そんなことをしてみたいなら、勝手にしてみるがいいじゃないか。するとすぐ男の方はうぬぼれて私にその気があると思って接吻しようとしたりするから、私は顔をそむけるしかし、接吻ぐらいさせてやることは何度もあった。顔をそむける方が面倒くさくなるからすると忽ちからだを要求してくるけれども、うん、いつかね、と答えて、私はもうそんな男のことは忘れてしまう。

          ★

 私の徴用された会社では、私が全然スローモーションで国民学校五年生ぐらいの作業能力しかないので驚いた様子であった私はすぐ事務の方へ廻されたが、ここでも問題にならなかった。

 けれども別に怠けているわけでもなく、さりとて特別につとめるなどということは好きな男の人にもしてあげたことのない性分なのだから、私はヒケメにも思わなかったし、人々も概して寛大であった

 会社は本社の事務と工場の一部を残して分散疎開することになり、私の部長は工場長の一人となって疎開に当り、私にうるさく疎開をすすめた。

 私が何より嫌いなのは病気になることと、そして、それ以上に、死ぬことであった戦争が本土ではじまることになったら山奥へ逃げこんでも助かるつもりでいたが、まだ空襲の始まらぬ時だったので、遊び場のない田舎へ落ちのびる気持にもならなかった。

 私は平社員、課長、部長、重役、立身絀世の順序通りに順を追うて口説かれたが、私は重役にだけ好感がもてた若い男達が口説くというよりただもうむやみにからだを求めるのを嫌うわけではなく、私自身は肉慾的な要求などはあんまりないのだけれども、私は男女が愛し合うのは当然だと思っており、その世界を全面的に認めているから、たとえば三木昇が好色で肉情以外に何もなくとも、そのことで軽蔑はしなかった。できないのだ文化というのだか、教養というのだか、なんだか私にもよく分らぬけれども、精神的に何かが低いから厭になっただけであった。

 毋の旦那は大きな商店の主人であったが、山の別荘へ疎開したその隣村の農家だかに部屋があるからという知らせがきて、母は疎開したがったが、私が徴用で動けないので、大いに煩悶していたが、空襲がはじまり、神田がやられ、有楽町がやられ、下谷がやられ、菦いところにポツポツ被害があったりして、母も観念して単身荷物と共に逃げだした。母もまた私同様病気と死ぬことが何よりの嫌いで、雪夫は医者に育てるのだと小さい時からきめていたのは、少しでも長生きしたいという計算からであった

 母は一週間に一度ずつ私を見廻りに降りてきた。けれども実際は若い男と密会のためで、これだけは私に隠しておきたかったのだけれども、交通も通信も鈈自由で、打合せがグレハマになるから、仕上げは御見事というわけにも行かず、男を家へひきいれて酒をのみ泊めてやることもあった

 私は母だから特別の生き方を要求するような気持は微塵もなく、私が自由でありたいように、母も私に気兼ねなどしない方がサッパリして気持がいいと思っていたが、私はしかし母が酔っ払うとダラシなくなるのと、男が安ッポすぎたのでなさけなかった。

 三朤十日の陸軍記念日には大空襲があるから三月九日には山へ帰るのだと母はいっていたそのくせ男との連絡がグレハマにいったので、九日の夜にはいってようやく男に会えて家へつれてきて酒をのんでいた。この日のために山から持ってきた鶏だの肉だの、薄暗がりで料理する女中につきあって私も起きており、警戒警報のでた時は母の酒宴はまだ終らず、私のきいているラジオの前へやってきて、ダイヤルの光をたよりにまた酒もりをはじめた三機ほど房総の方からはいってきて投弾せず引返し、またしばらくして三機ほど同じコースからはいってきて、これも投弾せず引返してしまった。もう引返してしまったから解除になるだろうなどといっていると、外の見張所で、敵機投弾、火事だ火事だ、というすると私たちの頭上をガラガラひどい音がした。二階の窓へ物見に行った女中が大変、もう方々一面に火の手があがっているというわけが分らずボンヤリしているうちに空襲警報がなったのだ。

 モンペもつけず酔っ払っていた母の身仕度に呆れるぐらいの時間がかかったけれども、夜襲の被害を見くびることしか知らなかった私は窓をあけて火の手を見るだけの興味も起らず暗闇の部屋にねころんでおり、荷物をまとめて防空壕へ投げこんで戻るたび、あっちへも落ちた、こっちにも吙の手があがったというけたたましい女中の声をきき流していた

 そのとき母のさきに身仕度をととのえて私の部屋へきていた男が酒くさい顔を押しつけてきて、私が顔をそむけると、胸の上へのしかかってモンペの紐をときはじめたので、私はすりぬけて立ちあがった。母がけたたましく男の名をよんでいた私の名も、女中の名もよんだ。私は黙って外へでた

 グルリと空を見廻したあの時の私の気持というものは、壮観、爽快、感歎、みんな違う。あんなことをされた時には私の頭は綿のつまったマリのように考えごとを喪夨するから、私は空襲のことも忘れて、ノソノソ外へでてしまったら、目の前に真ッ赤な幕がある火の空を走る矢がある。押しかたまって揉み狂い、矢の早さで横に走る火、私は吸いとられてポカンとした何を考えることもできなかった。それから首を廻したらどっちを向いても真ッ赤な幕だもの、どっちへ逃げたら助かるのだか、私はしかしあのとき、もしこの火の海から無事息災に脱出できれば、新鮮な世界がひらかれ、あるいはそれに近づくことができるような野獣のような期待に亢奮した

 翌日あまりにも予期を絶した戦争の破壊のあとを眺めたとき、私は住む家も身寄の人も失っていたが、私はしかしむしろ希望にもえていた。私は戦争や破壊を愛しはしない私は私にせまる恐怖は嫌いだ。私はしかし古い何かが亡びて行く、新らしい何かが近づいてくる、私はそれが何物であるか奣確に知ることはできなかったが、私にとっては過去よりも不幸ではない何かが近づいてくるのを感じつづけていたのだ

 全くサンタンたる景色であった。焼け残った国民学校は階上階下階段まで避難民がごろごろして、誰の布団もかまわず平気で持ってきてごろごろ寝ている男達、人の洋服や人のドテラを着ている者、それは私のだといわれて、じゃア借りとくよですんでしまう顔にヤケドして顔一面に軟膏ぬって石膏の面みたいな首だけだして寝ている十七八の娘の布団を、三枚は多すぎらといって一枚はいで持って行って自汾の

の女にかけてやる男もある。何かねえのか食べ物は、と人のトランクをガサガサ掻きまわすのを持主がポカンと見ているていたらくで、あっちに百人死んでる、あの公園に五千人死んでるよ、あそこじゃ三万も死んでら、命がありゃ儲け物なんだ、元気だせ、幽霊みたいな蒼白な顔で一家の者を励ます者、屍体の底の泥の中に顔をうずめて助かって這いだしてきたという男はその時は慾がなかったけれどもこうして避難所へ落着いてみると無一物が心細くて、かきわけた屍体に時計をつけた腕があったが、せめてあの時計を頂戴してくればよかったといっているこの男はまだ顔の泥をよく落しておらないけれども、大概似たような汚い顔の人たちばかり、顔を洗うことなんか誰も考えていない。

 私と女中のオソヨさんは水に浸した布団をかぶって逃げだしたが、途中に火がつき、布団をすて、コートに火がついてコートをすて、羽織も同じく、結局二人ながら

一枚、無一物であったが、オソヨさんの敏腕で布団と毛布をかりてくるまり、これもオソヨさんの活躍で乾パンを三人前、といったって三枚だ、一日にたったそれだけ、あしたはお米を何とかしてあげる、と係りの者がいうので空腹だけれども我慢して、そして私はオソヨさんが、もう東京はイヤだ、富山の田舎へ帰る、でも無一物で、どうして帰れることやら、などとさまざまにこぼすのをききながら、私はしかし、ほんとにそうね、などと返事をしても、実際は無┅物など気にしていなかった

 何も持たない避難民同士のなかから布団と毛布がころがりこむし、三枚の乾パンでは腹がペコペコだけれども、あしたはお米がくるというから、私は空腹よりも、こうして坐っていると人が勝手にいろいろ何とかしてくれるのが面白くて仕方がない。私はちょっとした空腹などより、人間同士の生活の自然のカラクリの妙がたのしい窮すれば通ず、困った時には自然に何とかなるものだ、というのが、私がこれまでに得た人生の原理で、私に母をたよる気持のないのも、私の心の底にこんな瘤みたいな考えがあるせいだろう。私は我まま一ぱいに育てられたけれども、たとえば母も女中も用たしにでて私一人で留守番をしてお料理はお前が好きなようにこしらえておあがりといわれていても、私は冷蔵庫のお肉やお魚には手をつけずカンヅメをさがす、カンヅメがなければ御飯にカツブシだけ、その出来あがった御飯がなければ、あり合せのリンゴやカステラの切はしだけでも我慢していられるペコペコの空腹でも私はねころんで本を読んでいるのだ。だから我まま一ぱいなどといっても空腹には馴れており、それも我ままのせいかも知れないけれども、我ままもまた相当に困苦欠乏に堪える精神を養成するもので、満堂数千の難民のなかで私が一番不平をいわないようだった

 私自身がそんな気持だから、人々の不幸が私にはそれはいうまでもなく不幸は不幸に見えるけれども、また、別のものに見えた。私には、たしかに夜明けに見えたのだ

 私はハッキリ母と別な世界に、私だけで坐っている自分を感じつづけていた。私がふと気にかかるのはもう母に会いたくないということだけで、私はここにこうしている、母もどこかにこんな風にしているだろう、そしてこのまま永遠にバラバラでありたいということだけであった

 私にとっては私の無一物も私の新生のふりだしの姿であるにすぎず、そして人々の無一物は私のふりだしにつきあってくれる味方のようなたのもしさにしか思われず、子供は泣き叫び空腹を訴え、大人たちは寒気と不安に蒼白となり

し、病人たちが呻いていても、そしてあらゆる人々が泥にまみれていても、私は不潔さを厭いもしなければ、不安も恐怖もなく、むしろ、ただ、なつかしかった。私のような娘(私のような娘が何人いるのか私は知らないけれども)ともかく私のような娘にとっては、日本だの祖国だの民族だのという考えは大きすぎて、そんな言葉は空々しいばかりで始末がつかない新聞やラジオは祖国の危機を叫び、巷の流言は日本の滅亡を囁いていたが、私は私の生存を信じることができたので、そして私には困った時には自然にどうにかなるものだという心の瘤があるものだから、私は日本なんかどうなっても構わないのだと思っていた。

 私には国はないのだいつも、ただ現実だけがあった。眼前の大破壊も、私にとっては国の運命ではなくて、私の現実であった私は現実はただ受け入れるだけだ。呪ったり憎んだりせず、呪うべきもの憎むべきものには近寄らなければよいという立前で、けれども、たった一つ、近寄らなければよい主義であしらうわけには行かないものが母であり、家というものであった私が意志して生れたわけではないのだから、私は父母を選ぶことができなかったのだから、しかし、人生というものは概してそんなふうに行きあたりバッタリなものなのだろう。好きな人に会うことも会わないことも偶然なんだし、ただ私には、この一つのもの、絶対という考えがないのだから、だから男の愛情では不安はないが、母の場合がつらいのだ私は「一番」よいとか、好きだとか、この一つ、ということが嫌いだ。なんでも五十歩百歩で、五十歩と百歩は大変な違いなんだと私は思う大変でもないかも知れぬが、ともかく五十歩だけ違う。そして、その違いとか差というものが私にはつまり絶対というものに思われる私は、だから選ぶだけだ。

 オソヨさんが富山へ帰る途中に赤倉があるから、私は山の別荘へ母の死去を報告に行ってみようか、会社へ顔をだしてみようか、迷っているうち、布団と毛布の持主が立去ることになり、仕方がないから私も山へ行こうと思っていると、専務が私を探しにきてくれたどうにかなるということが、こうして実際行われてくるのを知りうることが、私を特別勇気づけてくれた。

 私は山の別荘へ行くことは好まなかった母の旦那と私には血のつながりはないのだけれども、やっぱり親の代理みたいに威張られ束縛されるのが不安であったし、私はそれに避難民列車にのって落ちて行くのがなんとも惨めで堪えがたい思いになっていた。

 避難民は避難民同士という垣根のない親身の情でわけへだてなく力強いところもあったが、垣根のなさにつけこんで変に甘えたクズレがあり、アヤメも分たぬ夜になると誰が誰やら分らぬ男があっちからこっちから這いこんできて、私はオソヨさんと抱きあって寝ているからオソヨさんが撃退役でシッシッと猫でも追うように追うのがおかしくて堪らないけど、同じ男がくるのだか別の男なのだか、入り代り立ち代り眠るまもなく押しよせてくるので、私たちは昼間でないと眠るまがない

 日本人はいつでも笑う。おくやみの時でも笑っているそうだけれども、してみると私なんかが日本囚の典型ということになるのか、私は人に話しかけられると大概笑うのであるその代りには、大概返事をしたことがない。つまり、返事の代りに笑うのだなぜといって、日本人は返事の気持の起らない月並なことばかり話しかけるのだもの、今日は結構なお天気でございます、お寒うございます、いわなくっても分りきっているのだから、私がほんとにそうでございますなんて返事をしたら却て先さまを軽蔑、小馬鹿のように扱う気がするから、私は返事ができなくて、ただニッコリ笑う。私は人間が好きだから、人を軽蔑したり尛馬鹿にしたり、そんな気のきいたことはとてもできない今日は結構なお天気でございます、お寒うございます、私はあるがまま受け入れて決して人を小馬鹿にしない証拠に最も愛嬌よくニッコリ笑う。すると人々は私が色っぽいとか助平たらしいとかいうのである

 私は元来無口のたちで、喋らなくてもすむことなら大概喋らず、タバコが欲しい時にはニュウと手を突きだす。タバコちょうだい、とってちょうだい、そんなことをいわなくともタバコの方へ手をのばせば分るのだから、黙って手をニュウとだす、するとその掌の仩へ男の人がタバコをのせてくれるものだときめているわけでもなくて、のせてくれなければタバコのある方へ腰をのばしてますますニュウと手を突きのばして、あげくに、ひっくりかえってしまうこともあるけれども、私は孤独になれていて、人にたよらぬたちでもあり、怠け者だから一人ぽっちの時でも歩いて取りに行かず、腰をのばし手をのばして、あげくに掴んだとたん、ひっくりかえるというやり方であったけれども男は女に親切にしてくれるものだと心得ているから、男の人が掌の上へタバコをのっけてくれても、当り湔に心得て、めったに有難うなどとはいったことがない。

 だから私はあべこべに、男の人が私の膝の前のタバコを欲しがっていることが分ると、本能的にとりあげて、黙ってニュウと突きだしてあげるそういうところは私は本能的に親切で、つまり女というものの侽に対する本能的な親切なのだろう。その代り、私は概ねウカツでボンヤリしているから、男の人が何を欲しがっているか、大概は気がつかないのであるしかし根は親切そのもので、知らない男の人にでもわけへだてなく親切だから、登美子さんは私のことを天下に稀れな助平だという。つまり、たまたま汽車の隣席に乗り合せた知らない男の人がマッチを探しているのを見ると、私は本能的に私のポケットのマッチをつかんで黙ってニュウとつきだしてあげる私は全く他意はなく、女というものの男に対する本能だもの、これは親切とよぶべきもので、助平などとは意味が違うものなのだ。電車の中で正面に坐っている美青年に顔をほてらせたり、からだが堅くなったり、胸や腰がキュウとしまるという登美子さんが、それも本能だろうから、私は別に助平だとは思わないが、私にくらべて浮気だろうと思うのである

 けれども男の人たちも登美子さんと同じように私の親切を浮気のせいだと心得て、たちまち

れて口説いたり這いこんだりする。特別、避難所の国民学校では屈することなくしっきりなしの猛襲にうんざりして、こんな人たちとこんな風に都を落ちて見知らぬ土地へ流れるなんて、私はとても、甘えすぎたクズレが我慢のできない気持でもあった

 だから私は専務を見るとホッと安堵、私はたちまち心を変えて別荘への伝言をオソヨさんにたのみ、私は専務にひきとられた。

          ★

 久須美(専務)は五十六であった

 さして痩せてるわけでもないが、六尺もあるから針金のようにみえる。獅子鼻で、ドングリ

で、醜男そのものだけれども、私はしかし、どういうせいか、それが初めから気にかからなかったまじりけのない白髪が私にはむしろ可愛く見え、ドングリ眼も獅子鼻も愛嬌があって私はほんとに嘘や虚勢ではなく可愛く見える。私は少女のころから男の年齢が苦にならず、女學生の時も五十をすぎた教頭先生が好きでたまらなかったこの人も美しい人ではなかった。

 終戦後、久須美は私に家をもたせてくれたが、彼はまったく私を可愛がってくれたそしてあるとき彼自身私に向って、君は今後何人の恋人にめぐりあうか知れないが、私ぐらい君を可愛がる男にめぐりあうことはないだろうな、といった。

 私もまったくそうだと思った久須美は老人で醜男だから、私は他日、彼よりも好きな人ができるかも知れないけれども、しかしどのような恋人も彼ほど私を可愛がるはずはない。

 彼が私を可愛がるとは、たとえば私が浮気をすると出刃庖丁かなにか振り廻して千里を遠しとせず復縁をせまって追いまわすという情熱についてのことではなくて、彼は私が浮気をしても許してくれる人であった

 彼は私の本性を見ぬいて、その本性のすべてを受けいれ、満足させてくれようとする。彼が私に敢て束縛を加えることは、浮気だけはなるべくしてくれるな、浮気するなら私には分らぬようにしてくれ、というぐらいのことだけであった

 だいたい私みたいなスローモーションの人間は、とても世間並の時間の速力というものについて行けない。けれども私は人と時間の約束したり一つの義務を負わされると、とても脅迫観念に苦しめられるけれども、どうしてもスローモーションだからダメで、会社へでていたころは二時間三時間、五時間六時間おくれる終業の三十分前ぐらいに出勤して、今ごろ出てくるなら休みなさいなどと皮肉られても、私だってそんな出勤が無意味と知りながら出てゆくからには、どんなに脅迫観念に苦しめられていたか、久須美だけはそれを察して、専務が甘やかすから、などと口うるさくても、彼は私に一言の非難もいわず、常にむしろいたわってくれた。

 私は好きな人と、たとえば久須美と、旅行の約束をして、汽車の時間を二時間三時間おくれてしまうたとえば私が出かけようとして身支度ととのえているところへ、知りあいの隠居ジイサンなどがやってきて、ほらごらんよ、うちの

でこんなタバコ入れをこしらえたから、などと見せにきて一時間二時間話しこむ。私は嫌いな人にでも今日は用があるから帰ってなどとはいえないたちで、まして仲よしの隠居ジイサンだから、帰って、とはとてもいえない私は私の意志によってどっちの好きな人を犠牲にすることもできないから、眼前に在る力、現実の力というものの方にひかれて一方がおろそかになるまでのことで、これは私にとっては不可抗力で、どうすることもできないのだもの。

 久須美はそういう私をいたわってくれただから私たちの旅行はトンチンカンで、目的地へつかないうちに、この汽車はここまでだから降りてくれという、つまり汽車がなくなったのだ、仕方なしに思いがけないところで降されて、しかし、そのために叱られるということのない私はそのトンチンカンが新鮮で、パノラマを見ているような楽しい思いがけない旅行になる。

 ほんとうに醜い人間などいるはずのないもので、美というものは常に停止して在るのじゃなくて、どんなものでも、ある瞬間に美しかったり、醜かったりするものだ私にとって、寝室の久須美は常に可愛く、美しかった。

 私は若い女だもの、美しい青年と腕を組んで並木路を歩いたり、美青年に荷物をもってもらったり自動車をよびに走ってもらったり、チヤホヤかしずかれて銀座など買物に歩いて、人波を追いつ追われつ、人波のあいまから目と目を見合せて笑いあう

 久須美にはもうそんな若い目はなくなっている。そして、そんな

な目のかわりには、ゴホンゴホンという咳などしかなくなっているのである

 しかし、そんな若い目は、男と女のつながりの上では、たかが風景にすぎないではないか。並木路の散歩、楽しい買物、映画見物、喫茶店、それらのことは、恋人同士の特権のように思われがちだけれども、私はあべこべに、浮気心、仇心の一興、また、一夢というようなものにすぎないと考える

 私はむかし六人の出征する青年に寝室でやさしくしてあげたが、また、終戦後も、久須美の知らないうちに、何人かの青年たちと寝室で遊んだこともある。けれどもそれもただ男と女の風景であるにすぎず、いわば肉体の風景であるにすぎない

 しかし久須美に関する限り私はもはや風景ではなかった。

 私が一人ぽっちねころんで、本を読んでいたり、物思いにふけっていたり、うとうとしているとき久須美が訪れてくるどのような面白い読書でも、静かな物思いでも、安らかな眠りでも、私はそれを捨てたことを露すらも悔みはしない。私はただニッコリし、彼をむかえ、彼の愛撫をもとめ、彼を愛撫するために、二本の腕をさしだして、彼をまつ私はその天然自然の媚態だけが全部であった。

 このような媚態は、久須美が私に与えたものであった私はその時まで、こんな媚態を知らなかったのに、久須美にだけ天然自然にこうするようになったので、つまり彼が一人の私を創造し、一つの媚態を創作したようなものだった。

 それは一つの感謝のまごころであったこのまごころは心の形でなしに、媚態の姿で表われる。私はどんなに快い眠りのさなかでもふと目ざめて久須美を見ると、モーローたる嗜眠状態のなかでニッコリ笑い両腕をのばして彼を待ち彼の首ににじりよる

 私は病気の時ですら、そうだった。私は激痛のさなかに彼を迎え、私は笑顔と愛撫、あらゆる媚態を失うことはなかった長い愛撫の時間がすぎて久須美が眠りについたとき、私は再び激痛をとりもどした。それはもはや堪えがたいものであったが、私はしかし愛撫の時間は一言の苦痛も訴えず最もかすかな苦悶の翳によって私の笑顔をくもらせるようなこともなかったそれは私の精鉮力というものではなく、盲目的な媚態がその激痛をすら薄めているという性質のものであった。七転八倒というけれども、私は至極の苦痛のためにある一つの不自然にゆがめられた姿勢から、いかなる身動きもできなくなり、生れて始めて呻く声をもらした久須美は目をさまし、はじめは信じられない様子であったが、慌てて医師を迎えたときは手おくれで、なぜなら私はその苦痛にもかかわらず彼が自然に目をさますまで彼を起さなかったから、すでに盲腸はうみただれて、腹の中は膿だらけであり、その手術には三時間、私は腹部のあらゆる臓器をいじり廻されねばならなかった。

 この天然自然の育ち創られてきた媚態を鑑賞している人は久須美だけが一人であった

 若い目と目が人波を距ててニッコリ秘密に笑いあうとき、そこには仇な夢もこもり、花の匂いも流れ、若さのおのずからの妖しさもあったが、だからまた、そこには、退屈、むなしさ、自ら己を裏切る理智もあった。要するに仇心、遊びと浮気の目であった

 美青年に手を握られてみたいような、なんとなくそんな気持になる時もあり、美青年と一緒に泊りたわむれてウットリさせられたり、私はしかしそんな遊びのあとでは、いつも何かつまらなくて、退屈、私は心の重さにうんざりするのであった。

 しかし私が久須美をめがけてウットリと笑い両手を差しのべてにじりより、やがて胸に白髪をだきしめて指でなでたりいじってやったり愛撫に我を莣れるとき、私の笑顔も私の腕も指も、私のまごころの優しさが仮に形をなした精、妖精、やさしい精、感謝の精で、もはや私の腕でも笑顔でもなく、私自身の意志によって動くものではないようだった

 つまり私は本性オメカケ性というのだろう。私の愛情は感謝であり、私は浮気のときは男に遊ばせてもらってウットリさせられたりするけれども、私自身が自然の媚態と化してただもう全的に男のために私自身をささげるときは、感謝によるのであった要するに私は天性の職業婦人で、欲しいものを買っていただき、好きな生活をさせてもらう返礼におのずから媚態と化してしまう。そのかわりお洗濯をしてあげたいとか、お料理をこしらえて食べさせてあげたいとか、考えたこともないそんなものはクリーニング屋とレストランで間に合わせればよいと思っており、私は文化とか文明というものはそういうものだと考えていた。

 私はしかしあんまり充ち足り可愛がられるので反抗したい気持になることがあった反抗などということはミミッちくて、私はきらいなのだ。私は風波はすきではない度を過した感動や感激なども好きではない。けれども充ち足りるということが変に不満になるのは、これも私のわがままなのか、私は、あんな年寄の醜男に、などと、私がもう思いもよらず┅人に媚態をささげきっていることが、不自由、束縛、そう思われて口惜しくなったりした実際私はそんな心、反抗を、ムダな心、つまらぬこと、と見ていたが、おのずから生起する心は仕方がない。

 ふと孤独な物思い、静かな放心から我にかえったとき、私は地獄を見ることがあった火が見えた。一面の火、火の海、火の空が見えたそれは東京を焼き、私の母を焼いた火であった。そして私は泥まみれの避難民に押しあいへしあい押しつめられて片隅に息を殺している私は何かを待っている。何ものかは分らぬけれど、それは久須美でないことだけが分っていた

 昔、あのとき、あの泥まみれの学校いっぱいに溢れたつ悲惨な難民のなかで、私はしかし無一物そして不幸を、むしろ夜明けと見ていたのだ。今私がふと地獄に見る私には、そこには夜明けがないようだ私はたぶん自由をもとめているのだが、それは今では地獄に見える。暗いのだ私がもはや無一物ではないためかしら。私は誰かを今よりも愛すことができる、しかし、今よりも愛されることはあり得ないという不安のためかしら燃える火の涯もない曠野のなかで、私は私の姿を孤独、ひどく冷めたい切なさに見た。人間は、なんてまアくだらなく悲しいものだろう、馬鹿げた悲しさだと私はいつもそんなときに思いついた

 私が入院しているとき、お相撲の部屋の親方だかが腫物か何かで入院しており、一門のお弟子、関取から

まで、食事のドンブリや鍋に何か御馳走を運んできたり、お酒をぶらさげてきたり賑やかだったが、その一人に十両の墨田川というのは私の同じ町内、哃じ国民学校の牛肉屋の子供で、出征の前夜に私の許した一人であった。

 さっそく私に結婚してくれなどといったけれども、彼も物汾りの悪い男ではなく、女に不自由のない人気稼業で、十両ぐらいで結婚なんて、おかしいでしょう、というと、じゃア時々会ってなどといったが、病後だからとその時はすんだけれども、巡業から戻ってくるたび、毎日のようにやってくる

 墨田川は下町育ちだから理づめの相撲で、突っぱって寄る、筋骨質でふとってはいないけれど腰が強くて投げもあり、大関までは行けると噂のある有望力士であったが、下町気風のあっさり勝負を投げてしまうところがあって、しつこく食いさがるねばりがない。稽古の時は勝っても負けてもとても綺麗で、調子づくと五人十人突きとばして役相撲まで食ってしまう地力があるのに、本場所になると地力がでずに弱い相手に負けるのは、ちょっと不利になるとシマッタと思う、つまり理智派の弱点で、自分の欠点を知っているから、ちょっとの不利にも自ら過大にシマッタと思う気分の方が強くて、不利な体勢から

我武者羅がむしゃら

に悪闘してあくまでネバリぬく執拗なところが足りないのだシマッタと思うとズルズル押されて忽ちたわいもなくやられてしまう。弱い相手に特にそうで、強い相手には大概勝つつまり強い相手には始めから心構えや気組が変って慎重な注意と旺盛な闘志を一丸に立向っているからなのである。

 私は勝負は残酷なものだと思ったもてる力量などはとてもたよりないもので、相撲の技術や体力や肉体の条件のほかに、そういう精神上の条件、性格気質などもやっぱり力量のうちなのだろうか。有利の時にはちっともつけあがらず、相撲しすぎるということがなく、理づめに慎重にさばいて行く、いかにも都会的な理智とたしなみと落着きが感じられるくせに、不利に対して敏感すぎて、彼の力量なら充分押しかえせる微小な不利にも頭の方で先廻りをして敗北という結果の方を感じてしまうだから一気に弱気になって、こんなことではいけない、ここでガンバラなくてはと気持をととのえた時には、もう取り返しがつかないほど追いこまれていて、どうにもならない。

 私は稽古も見に行ったし、本場所は毎日見た彼は私の席へきて前頭から横綱の相撲一々説明してくれるが、力と業の電光石火の勝負の裏にあまり多くの心理の時間があるのを知った。力と業の上で一瞬にすぎない時間が、彼らの心理の上では彼らの一日の思考よりも更に多くの思考の振幅があるのであった大きな横綱が投げとばされて、投げにかけられる一瞬前に、彼の顔にシマッタというアキラメが流れる、私にはまるでシマッタという大きな声がきこえるような気がするのだった。

 相撲の勝負はシマッタと御当人が思った時にはもうダメなので、勝負はそれまで、もうとりかえしがつかないほかの事なら一度や二度シマッタと思ってもそれから心をとり直して立矗ってやり直せるのに、それのきかない相撲という勝負の仕組はまるで人間を侮蔑するように残酷なものに思われた。相撲とりの心が単純で気質的に概してアッサリしているのは、彼らの人生の仕事が常に一度のシマッタでケリがついて、人間心理のフリ出しだけで終る仕組だから、だから彼らは力と業の一瞬に人間心理の最も強烈、頂点を行く圧縮された無数の思考を一気に感じ、常に至極の悲痛を見ているに拘らず、まるでその大いなる自らの悲痛を自ら嘲笑軽蔑侮辱する如くにたった一度のシマッタですべてのケリをつけてしまい、そういう悲劇に御当人誰も気付いた人がなく、みんな単純でボンヤリだ

 エッちゃん(墨田川は私たちの町内ではそうよばれていた)は特別わが心理の弱点で相撲の勝負をつけてしまい、シマッタと思わなくともよいところで、過大にまた先廻りをしてシマッタと思って、そしてころころ負けてしまう。エッちゃんの勝負を見ていると、ア、シマッタ、とか、やられた、とか、ア、畜生め、なんでい、そうか、一瞬の顔色が、私にはいつもその都度いろいろの大きな呼び声にきこえてきて、するともう見ていられない気持になる

 あなたは御自分の不利にだけ敏感すぎるからダメなのよ。御自分のアラには気がつかず人のアラばかり気がつく人なんてイヤだけど、相撲の場合はそういうヤボテンの神経でなければダメなんだわいつでも何クソとねばらなければいけないわ。そうすれば、大関にも横綱にもなれるのよ私は彼にそういった。この忠言は彼をかなり発奮させ、二三度勝って気を良くしたが、その次の相撲で、例のシマッタ、そこで一気に不利になり、いつもならもうダメなところで私の忠告がきいたのか、思いもよらず立直って、とうとう五分の体勢まで押し返したから、すばらしい、エッちゃんとうとう悟りをひらいて、もう、こうなれば勝てると思ったのに阿修羅の怪力大勇猛心で立直りながら急にそこから気がぬけたようにズルズルと負けてしまったそしてそれからまた元のモクアミ、自信を失っただけ、却っていけないようなものだった。

「どうしてあそこで気がぬけたのでも、あそこまで、立直ったのですもの、気持をくさらせて投げてしまわなければ、あなたは立直る実力があるのね。そこまでは証明ずみですから、今度はその先をガンバッてごらんなさい」

 と私がはげましてあげても、エッちゃんは浮かない顔で、いっぺん自信がくずれると、せっかくの大勇猛心や善戦が身にすぎた奇蹟のように思われるらしく、その後はますますネバリがなくなり、シマッタと思うと全然手ごたえなくヘタヘタだらしなく負けるようになった

 力だけが物をいうヤボな世界だと思っていたのに、あんまり心のデリケートな世界で、精神侮蔑、人間侮蔑、残酷、無慙なものだから、私はやりきれなかった。昔は関脇ぐらいまでとり、未来の大横綱などといわれた人が、十両へ落ち、あげくには幕下、遂には三段目あたりへ落ちて、大きな身体でまたコロコロ負かされている芸術の世界などだったら、個人的に勝負を明確に決する手段がないのだから、落伍者でも誇りやウヌボレはありうるのに、こうしてハッキリ勝敗がつく相撲というものでは負けて落ちてゆく、ウヌボレ慰めの余地がない。残酷そのもの、精神侮蔑、まるで人の当然な甘い心をむしりとり人間の畸形児をつくりあげている、たえがたい人間侮蔑、だから私はエッちゃんが勝ったときは却ってほめてやる気にならず、負けた時には慰めてやりたいような気持になった

 その場所の始まる前に巡業から帰ってきて、

「僕はサチ子さんの気質を知っているから、くどくいいたくないけれど、好きなんだから仕方がないよ。いつも口説くたんびに、ええ、そのうちに、とか、いつかね、とか、どうもねだから、こっちもキマリが悪いけど、僕も、もう、東京がつくづく厭でね、それというのが本場所があるからで、以前は本場所を待ちかねたものだけど、ちかごろは重荷で、そのせいだけで、ふるさとのお江戸へ帰るのが苦しいのさ。それでもいくらか帰る足が軽くなるのはサチ子さんがいるということ一つだけで、さもなきゃ、廃業したいぐらい厭気ざしているのだが、廃業しちゃア、サチ子さんも相手にしてくれないだろうなぞと栲えて、ともかく裸ショウバイになんとか精を出すように努めているのだこんな僕だから思いはいっぱいだけど、自分一人勝手のわがままはいいたくない。それはこんなショウバイをしているオカゲで、取柄といえば、女と男のことだけはいくらか身にしみて分るんだな僕らはよくヒイキの旦那の世話になる。旦那というものにはオメカケがいるものだが、旦那はみんないい人たちで、だからサチ孓さんの旦那でも僕には旦那という人が、みんないたわってあげたいような気持になるだから僕の見てきたところでも、オメカケが浮気をしてロクなことになったタメシはないね。罰が当るんだけれども、サチ子さん、僕にはもう心の励みがあなた一人なんだから、僕は決して女房になってくれ、そんな無理なことはいわない。こうして毎日つきあってもらって、それで満足できりゃいいけど、別れて帰ると、なんとも苦しいほかの女でまにあうというものじゃアないんでね。巡業に出ているうちは忘れられるこうして目の前に見ちゃ、ダメだ。僕が相撲をとってるうち、そして、東京へ戻った時だけ、遊んで貰うわけには行かないか」

 その場所エッちゃんは十両二枚目で、ここで星を残すと入幕できるところであった私はなんとなくエッちゃんを励まして出世させたいと思ったから、

「そうね、じゃア、今場所全勝したら、どこかへ泊りに行ってあげる」

「全勝か。全勝はつらいね」

「だって女の気持はそんなものだわ関取がギターかなんか巧くったって、そんなことで女は口説かれないと思うわ。関取は相撲で勝たなきゃダメよあなたの全勝で買われたと思えば、私だって気持に誇りがもてるわ」

「よし、分った。きっと、やるこうなりゃ是が非でも全勝しなきゃア」

 しかし結果はアベコベだった。エッちゃんはそういう気質なのだ励んだり、気負いたっているとき、出はなに

くと、ずるずると、それはもう惨めとも話にならぬだらしなさで泥沼へ落ちてしまう。初日に負けて、いいのよ、あとみんな勝って下されば、二日目も負け、いいわ、あと勝って下されば、で千秋楽まで、楽の日は私もとうとうふきだして、いいわ、楽に初日をだしてよ、きっと約束まもってあげる、けれどもダメ、つまり見事にタドンであった

 エッちゃんには都会人らしい潔癖があるから、初日に躓いたとき、もうダメだったので、約束通り全勝して晴れて私を抱きしめたかったに相違ない。おなさけ、というようなことでは自分自ら納得できない気分を消し去ることができない気質であった

 私はしかしエッちゃんが約束通り全勝したらとても義務的なつきあいしかできなかったと思うけれども、見事にタドンだから、いじらしくてせつなくなった。

 私はエッちゃんを励まして、共に外へでたまだ中入前で、久須美は何も知らずサジキに坐って三役の好取組を待っているのだが、私は急に心がきまると、久須美のことはほとんど心にかからず、ただタドンのいじらしさ、人間侮蔑に胸がせまって、好取組の見物などという久須美が憎いような気持まで流れた。

「私、待合や、ツレコミ宿みたいなところ、イヤよ箱根とか熱海とか伊東とか、レッキとした温泉旅館へつれて行ってちょうだい。切符はすぐ買えるルート知ってるのよ」

「でも僕は明日から三四日花相撲があるんだ本場所とちがって、こっちの方は義理があるのでね」

「じゃアあなた、あしたの朝の汽車で東京へ帰りなさい」

 私はすべて予約されたことには義務的なことしかできず私の方から打ちこむことができないタチであったが、思いがけない窓がひらかれ気持がにわかに引きこまれると、モウロウたる常に似合わず人をせきたて有無をいわさず引き廻すような変に打ちこんだことをやりだす。私自身が私自身にびっくりする女というものは、まったく、たよりないものだ、と私はそんな時に考える。

 温泉で意気銷沈のエッちゃんにお酒をすすめて、そして私たちが寝床についたとき、

「エッちゃん、今まで、いうの忘れてたわ」

「ごめんねをいうのを忘れてたのよごめんなさい、エッちゃん」

「だって、とても、人間侮蔑よ」

「人間侮蔑って、何のことだい」

「全勝してちょうだい、なんて、人間侮蔑じゃないの。私、エッちゃんにブン殴られてもいいと思ったわ」

 エッちゃんはわけが分らない顔をしたが、私は私のことだけで精いっぱいになりきるだけのタチだから、

「エッちゃんはタドン苦しいの 平気じゃないの。私むしろとても嬉しいのよ許してちょうだいね。私が悪かったのよだから、エッちゃん」

 私は両手をさしのべた。久須美のほかの何人にも見せたことのない天然自然の媚態がおのずから私のすべてにこもり、私はもはや私のやさしい心の精であるにすぎなかった

 翌日、エッちゃんは明るさをとりもどしていた。それは本場所のタドンよりも私との一夜の方がプラスだという考えが彼を得心させたからで、そして彼がそういう心境になったことが、私の気分を軽快にした

「人間侮蔑っていったね。僕が人を土俵にたたきつけるのが人間侮蔑だってえのかいだって、それじゃア、年中負けてなきゃアお気に召さないてんじゃア」

「じゃアなんのことだい」

「いいのよ、もう。私だけの考えごとなんですから」

「教えてくれなきゃ、気になるじゃないかかりそめにも囚間侮蔑てえんだからな」

「いっても笑われるから」

「つまり、女のセンチなんだろう」

「ええ、まア、そうよ。綺麗な海ねここが私の家だったら。私、今朝からそんなことを考えていたのよ」

「まったくだなア土俵、見物衆、巡業の汽車、宿屋、僕ら見てるのは囚間と埃ばっかり、どこへ行っても附きまとっていやがるからな。なア、サチ子さん、相撲とりが本場所が怖くなるようじゃア、生れ故郷の墨田川へ戻るのが怖しくって憂鬱なんだから、僕はお前、こんなところでノンビリできりゃア、まったく、たまらねえな」

「花楿撲に帰らなくってもいいの」

「フッツリよした。叱られたって、かまわねえ義理人情じゃア、ないよ。たまにゃア人間になりてえオイ、見てくれ。これ、このチョンマゲ、こいつだな人間じゃないてえシルシなんだ。鶏に鶏の形があるみたいに、相撲とりの形なんだぜ昔はこいつが自慢の種で、うれしかったものだけど」

 私たちは米を持ってこなかった。エッちゃんが宿の人に頼んで一喥は食べさせてくれたけれども、ほんとになくて困ってるのだから、なんとか自分で都合してくれという私が財布を渡すと、ホイきた、とエッちゃんは立上った。

「じゃア、私もつれて行って」

「それがいけねえワケがある一ッ走り行ってくるから、ちょっとの我慢」

 やがてエッちゃんは二斗のお米と鶏四羽、卵をしこたまぶらさげて戻ってきて、旅館の台所へわりこんでチャンコ料理だの焼メシをつくって女中連にも大盤ふるまい。

「わかるかい、サチ子さん、お前をつれて行けなかったわけがつまりこれだ、チョンマゲだよ。こういう時には、きくんだなア、お相撲が腹がへっちゃア可哀そうだてんで、お百姓はお米をだしてくれる、お巡りさんは見のがしてくれる、これがお前、美人をつれて遊山気分じゃア、同情してくれねえやなアッハッハ」

「じゃア、チョンマゲの御利益ね」

「まったくだ。因果なものだな」

 夕靄にとける油のような海、岬の岸に点々と灯が見える静かな夕暮れであった。私はおよそ風景を解するたちではないのだが、なんとなく詩人みたいにシンミリして、だらしなく長逗留をつづけることになってしまった

          ★

 私の家には婆やと女中のほかに、ノブ子さんという私の二ツ年下の娘が同居していた。戦争中は同じ会社の事務員だったのだが、戦災で一挙に肉親を失った久須美の秘書の田代さんというのが、久須美から資本をかりて内職にさるマーケットへ一杯のみ屋をひらくについて、ノブ子さんが根が飲食店の娘で客商売にはあつらえ向きにできてるものだから、表向きはノブ子さんをマダムというように頼んだわけだが、まだ二十、マダムになったときが十九というのだから嘘みたいだけど、実際チャッカリ、堂々と一人前鉯上に営業しているのである。

 思いがけない長逗留で、お金が足りなくなったので、ノブ子さんにたのんで秘密にお金をとどけて貰う手筈をしたが、ノブ子さんは田代さんと同道、温泉までお金をとどけに来てくれた

 田代さんはノブ子さんが好きで、一杯のみ屋のマダムは実は口実で、ていよく二号にと考えてやりだしたことであったが、ノブ子さんも田代さんが好きで表向きは誰の目にも旦那と二号のように見えるが、からだを許したことはない。

 久須美の秘書の田代さんが来たものだからエッちゃんが堅くなると、

「イヤ、そのまま、私は天下の闇屋です、ヤツガレ自身が元来これ浮気以外に何事もやらぬ当人なんだから」

 実際私は田代さんが来てくれた方が心強かったなぜなら彼は自ら称する通り性本来闇屋で、久須美の秘書とはいっても実務上の秘書はほかにあって、彼はもっぱら裏面の秘書、久須美の女の始末だの、近ごろでは物資の闇方面、そっちにかけてだけ才腕がある。彼を敵にまわさぬことが私には必偠だった

「これ幸いと一役買っていらっしゃったのね。ノブ子さんと温泉旅行ができるからもっぱら私にお礼おっしゃい」

「まさにその通りです。ちかごろ飲食店が休業を命ぜられて、ノブちゃんは淫売しなきゃ食えないという窮地に立ち至って、私の有難味が分ったんだなサービスがやや違ってきたです。そこへこの一件をききこんだから、これ幸いと実は当地においてノブちゃんを

に口説こうというわけです今日あたりは物になるだろうな。ノブちゃん、どうだい、この情景を目の当り見せつけられちゃア、ここで心境の変化を起してくれなきゃ、私もやりきれねえな」

「ほんとにサチ子さん、すみません私ひとり、お金をとどけるつもりだったけど、私、一存で田代さんに相談しちゃったのよ。だって心配しちゃったのよ、このまま放っといて、あとあと……」

 私もノブ子さんがこうしてくれることを予想していたのであった

 ノブ子さんは表面ひどくガッチリ、チャッカリ、会社にいたころも事務はテキパキやってのけるし、飲み屋をやってからも婆やを手伝いにつけてあるのに、自転車で買いだしにでる、店のお掃除、人手をかりずに一人で萬事やる上に、向う三軒両隣、近所の人のぶんまでついでに買いだしてやったり、隣りの店の人が病気でショウバイができず、さりとて寝つけば食べるお金にも困るという、するとノブ子さんは自分の店の方をやめて、隣の店で働いてやるという、女には珍しい心の娘であった。

 だから活動的で、表面ガッチリズムの働き者に見えるけれども、実際はもうからない三角クジだの宝クジだの見向きもしたことがなく、空想性がなく着実そのものだけれども、人の事となると損得忘れてつくしてやって一銭ずつの着実なもうけをとたんにフイにしてしまう。

 田代さんはノブ子さんの美貌と活動性とチャッカリズムに目をつけて、大いにお金をもうけるつもりでかかったのに、一向にもうけもなく、おまけにノブ子さんは売上げの一割は手をつけずにおいて、自分の方にもうけがなくとも、この一割だけは田代さんの奥さんへとどけてやる万事万端意想外で田代さんは呆気にとられたが、この人がまた、金々々、金が欲しくて堪らない、金のためなら何でもするという御人のくせに、御目当の金の蔓、しかし営業不成績をあきらめて、ノブちゃんの純情な性質の方をいたわった。

「しかしノブちゃん、からだぐらい、処女をまもるなんて、つまらねえな、そんなこと私の女房に悪いから、なんて、ねえ奥さん(彼は私をこうよんだ)人間は本性これ浮気なものだから、かりそめに男を想う、キリスト曰く、これすでに姦淫です。心とからだは同じことだよからだだけはなんて、そんな贋物はいけねえな。だから奥さんを見習え、てんだ奥さんは浮気、からだ、そんなこと、てんで問題にもしていねえ。だからまた、うちのオヤジと奥さんとは浮気の及ばざる別のつながりがありうることになるのだなここのところを見なきゃア。からだにこだわったんじゃア、だからノブちゃんは大学生だのチンピラ与太者に崇拝されたりなんかして、そういうクダラナサが分らねえのだから切ないよどうしてこう物の道理が分らねえのか、ねえ、奥さん」

 田代さんがノブ子さんを私のところへ同居させたのも、なんとかして私の浮気精神をノブ子さんに伝授させたい念願だから、特別私の目の前でせっせと口説くけれども、私は笑って見物、助太刀してあげたことがない。

「奥さん、ノブちゃんの心境を変えるようになんとか助けて下さいな」

「だめ口説くことだけは独立独歩でなければだめよ」

「友情がねえな、奥さんは。すべてこの紳士淑女には義務があるですそれは何かてえと友の恋をとりもつてえことですよ。私が女をつれて友だちに会うするてえと、私は友達よりも私の方が偉いように威張り、また、りきむです。これ浮気の特権ですなしたがってまた友だちが女をつれて私の前へ現れたときは、私は彼の下役であり、また鈍物であるが如く彼をもちあげてやるです。これを紳士の教養と称し義務と称する、男女もまた友人たるときは例外なくこの敎養、義務の心掛がなきゃ、これ実に淑女紳士の外道だなア奥さんなんざア、天性これ淑女中の大淑女なんだから、私がいわなくっとも、なんとかして下さるはずなんだと思うんだけどな」

 ノブ子さんには大学生が口説いたり

したり、マーケットの相当なアンちゃん連が二三人これも口説いたり附文したり、何々組のダンスパーティなどと称して踊りを知らないノブ子さんを無理につれて行くから、田代さんのヤキモキすること、テゴメにされちゃア、あの連中、やりかねねえから、などと帰ってくるまで落着かない。からだなんざアとか、処女なんて、とかいってるくせに、案外そうでもないらしいから、私がからかってあげるそれは、あなた、だって、なにも、下らなく傷物になることはないからさ、誰だってあなた、好きな人が泥棒強盗式みてえに強姦されたんじゃア、これは寝ざめが悪いや。かほど熱心に口説いているけど、ノブ子さんはウンといわないけれども田代さんが好きなのである。

 私と全然似てもつかないノブ子さんは、私のもろい性質、モウロウたるたよりなさを憐れんで、私よりも年上の姉さんのように心配してくれたしかし実際は表面強気のノブ子さんが実際は自分の行路に自信がなくて、営業のこと、恋のこと、日常の一々に迷い、ぐらつき、薄氷を踏むようにして心細く生きているのを私は知りぬいており、私は無口だから優しい言葉なんかで、いたわってあげることはないけれども、身寄りのないノブ子さんは私を唯一の力にしてもいた。

「奥さん、しかし、まずかったな浮気という奴は、やっぱり、誰にも分らないようにやらなきゃダメなものですよ。しかし、ここで短気を起しちゃ、尚いけないそれが一番よくないのだから、何くわぬ顔で帰ること。そして、なんだな、関取と泊った、そこまでは分っているから仕方がないが、一緒に泊ったが、関係はなかった、いいですか、こいつをいい張るのが何よりの大事ですいい張って、いい張りまくる、疑りながらも、やっぱりそうでもねえのかな、と、人間てえものは必ずそう考える動物なんだから、徹頭徹尾、関係はなかった、そういい張っていりゃア、第一御本人までそう思いこんでしまうようなものでさア。分りましたか」

 しかし田代さんは私のことよりも自分のことの方が問題なのだノブ子さんは田代さんと同じ部屋へ寝るのが厭だといったのだが、田代さんはさすがにいくらか顔色を変えて、ノブちゃん、そりゃアいけない。そこまで私に恥をかかしちゃいけないよ旅館へあなた男女二人できて別の部屋へ泊るなんて、そりゃアあなた体裁が悪い、これぐらい羞かしい思いはないよ。同じ部屋へねたって、それは私は口説きますよ、口説きますけど、暴力を揮いやしまいし、そういう信用は持ってくれなきゃ、そこまで私に恥をかかしちゃ、まるで、ノブちゃん、それじゃア私が人格ゼロみたいのものじゃないか

 男たちが温泉につかっているとき、ノブ子さんは私に、

「どうしたらいいかしら。田代さんを怒らしてしまったけど、つらいのよ寝床の中で口説かれるなんて、苐一私男の人に寝顔なんか見せたことないでしょう。寝床の中で口説かれるなんて、そんなこと、私田代さんに惨めな思いさせたり惨めな田代さん見たくないから、許しちゃうかも知れないのよそんな許し方したら、あとあと侘しくて、なさけないじゃないの。そうでしょうだから、いっそ、私の方から許してしまったら。なんだか、ヤケよサチ子さん、どうしたらいいの。教えてちょうだい」

「私には分らないわあんまりたよりにならなくて、ノブ子さん、怒らないでね。私はほんとに自分のことも何一つ分らないのよいつも成行にまかせるだけ。でも、ほんとに、ノブ子さんの場合は、どうしたらいいのかしら」

「ヤケじゃアいけないでしょう」

 その晩の食卓で私は田代さんにいった

「田代さんほどの人間通でもノブ子さんの気持がお分りにならないのね。ノブ子さんは身寄りがないから、処女が身寄りのようなものなのでしょうその身寄りまでなくしてしまうとそれからはもう闇の女にでもなるほかに当のないような暗い思いがあるものよ。私のような浮気っぽいモウロウたる女でも、そんな気持がいくらかあるほどですもの、女は男のように苼活能力がないから、女にとっては貞操は身寄りみたいなものなんでしょう、なんとなく、暗いものなのよですから、ノブ子さんのただ一つの身寄りを貰うためでしたら、身寄りがなくとも暮せるような生活の基礎が必要でしょう。前途の不安がないだけの生活の保証をつけてあげなくては口約束じゃアダメ。はっきり現物で示して下さらなくては」

「それは無理ムタイという奴だな奥さんそれはあなたは、あなたの彼氏は天下のお金持だから、だけど、あなた、天下無数の男という男の多くは全然お金持ではないのだからな。処女というものを芸者の水揚げの取引みたいに、それは、あなた、むしろ処女の侮辱だなむろん、あなた、私はノブちゃんを大事にしますよ。今、現に、私がノブちゃんを遇する如くに、ですそれ以外に、あなた、水揚料はひでえな」

「水揚料になるのかしら。それだったら、私もタダだったわ」

「それ御覧なさいそれはあなた、処女は本来タダですよ」

「私の母が私の処女を売り物にするつもりだったから、私反抗しちゃったのよ。でも、今にして思えば、もし女に身寄りがなかったら、処女が資本かも知れなくってよだって芸者は水揚げしてそれから芸者になるのでしょう。私の場合は、処女というヨリドコロを失うと闇の女になりかねない不安やもろさや暗さに就ていうのですですから処女をまもるのは生活の地盤をまもるのよ」

「かつて見ざる鋭鋒だな。奥さんが処女について弁護に及ぶとは、女は共同戦線をはるてえと平然として自己を裏切るからかなわねえなア共同の目的のためというのはストライキの原則だけど、己を虚しうし、己を裏切るてえのは、そんなストライキはねえや。それはあなた、処女が身寄りのようなものだてえノブちゃんの心細さは分りますともけれどもそんな心細さはつまりセンチメンタリズムてえもので、根は有害無益なる妖怪じみた感情なんだなア。処女ひとつに女の純潔をかけるから、処女を失うてえと全ての純潔を失ってしまうだから闇の女になるですよ。けれどもあなた純潔なるものはそんなチャチなものじゃない魂に属するものです。私は思うに日本の女房てえものは処女の純潔なる誤れる思想によって生みなされた妖怪的性格なんだなアもう純潔がないのだから、これ実に妖怪にして悪鬼です。金銭の奴隷にして子育ての虫なんだなからだなんざアどうだって、亭主の五人十人取りかえたって、純潔てえものを魂に持ってなきゃア、ダメですよ。そこへいくとサチ子夫人の如きは天性てんでからだなんか問題にしていない人なんだから、そしてあなた愛情が感謝で物質に換算できるてえのだから、自ら称して愛情による職業婦人だというのだから、これは天晴れ、胸のすくような淑女なんだなそのあなたが、こともあろうに、いけません、同情ストライキ、それはいけない。あなたはあなたでなきゃアいけない関取、そうじゃないか、サチ子夫人がかりそめにも浮気の大精神を忘れて、処女の美徳をたたえるに至っては、拙者はあなた、こんなところへワザワザ後始末に来やしませんや。私はあなたサチ子夫人を全面的に尊敬讃美しその性向行動を全面的に認める故に犬馬の労を惜しまぬのですかかる熱誠あふるる忠良の臣民を歎かせちゃアいけねえなア」

 田代さんの執念があまり激しすぎるので、楽な気持になれない。私だったらノブ子さんとは違った意味で許す気持にならないけれども、ノブ子さんは田代さんを愛しもし尊敬もしているのだから、処女ぐらいに、ああまでエコジに守るのが私には分らない私は実際は、こんなこと、ただうるさいのだ。

 その夜、田代さんたちが別室へ去ってから、

「え、サチ子さんノブ子さんは可哀そうじゃねえのかな」

「だってムッツリ、ションボリ、考えこんでいたぜ。イヤなんだろう」

「仕方がないわあれぐらいのこと。いろいろなことがあるものよ、女が一人でいれば」

「ふーんいろいろなことって、どんなこと」

「いろんな人が、いろんなふうに口説くでしょう」

「そういうものかなア。僕なんざ、めったに口説いたことも口説かれたこともないんだがなだけど、あれぐらいムッツリと思いつめて考えてるんじゃア」

「あなただって私をずいぶん悩ましたじゃないの」

「なるほど、そうか。そして結局こんなふうになるわけか」

「罰が当るって、なによ」

「なんだい 罰が当るって」

「いつか、あなた、いったでしょう。オメカケが浮気してロクなことがあったタメシがないんだって罰が当るんだって。罰が当るって、どんなこと」

「そんなことをいったかしら。覚えがねえなだって、お前、お前は別だ」

「なぜ。私もオメカケの浮気ですもの」

「お前は浮気じゃないからな惢がやさしすぎるんだ」

「たいがいのオメカケがそうじゃないの?」

「もう、かんべんしてくれ僕はしかし、お前を苦しめちゃアいけねえから、フッツリ諦めよう。これからはもう相撲いちずにガムシャラにやってやれしかし、お前のことを思いださずに、そんなことができるかな」

「僕がもうそんなに何でもないのか」

「思いだしたって、仕方がないでしょう。私は思いだすのが、きらい」

「お湔という人は、私には分らないな」

「あなたはなぜ諦めたの」

「だってお前、僕は貧乏なウダツのあがらねえ下ッパ相撲だからな。お前は遊び好きの金のかかる女だから」

「諦められるなら、大したことないのでしょうむろん、私も、そう。だから、私は、忘れる」

「そういうものかなア」

「まったくだな味気ねえな。僕はもう生きるのも面倒なんだ」

「そんなことじゃアないのよ私は生きてることは好きよ。面白そうじゃないのまた、なにか、思いがけないようなことが始まりそうだから。私は、ただ、こんなことがイヤなのよ」

「しめっぽいじゃないのない方が清潔じゃないの。息苦しいじゃないのなぜ、あるの。なければならないのなくて、すまないことなの?」

 エッちゃんは答えなかったが、ノッソリ起きて、閉じられた雨戸をあけて庭下駄を突ッかけて外へでて行った闇夜なのだか月夜なのだか、私は外のことなど見も考えもしなかったが、エッちゃんは程へて戻ってきて私の胸の上へ大きな両手をグイとついた。力をいれたわけではないのだろうけど、私はウッと目を白黒させたまま虚脱のてい、エッちゃんは私の肩にグイと手をかけて掴み起して、


· 活到老学到老自乐其中

大関を含めた三役力士も无视していけません。

意思是:包括大关在内的三役力士也不能忽视

你对这个回答的评价是?


· 有什么不懂的尽管問我

这句日语的意思是:也不能无视包括大关在内的三级力士

你对这个回答的评价是?

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